ありがとう、ナカジマ会館の駅弁。。。

明治21(1888)年、長野駅開業。中島旅館は長野駅開業とともに駅構内で弁当立売営業をスタートしたそうです。爾来120年の長きにわたり、長野駅を行き交う乗客の空腹を満たし、地域の人々や旅人からは愛され続けてきました。
しかし、平成19(2007)年1月末日をもって長野駅弁からまさかの撤退することになってしまいました。新幹線始発駅での撤退ということで、駅弁ファンのみならず、一般の方々にとってもショックは計り知れないほど大きいでしょうが、その現実は受け入れるしかありません。。。

せめて、長野駅弁を記憶にとどめておきたいということで、昔の掛け紙を中心に振り返るページを作りました。



明治25(1892)年、中島旅館は弁当部門を独立させ、「中島弁当店」として創業しました。下の2枚は大正時代後期(1918〜1926年頃)のもの。「中島屋旅館、中島屋商店」という記述があります。

              

善光寺、川中島などが描かれています。上の掛け紙の路線図には甲武鉄道からはじまった飯田町駅(明治28年〜昭和8年、明治39年国有化)の名が記載されています。

              

下は昭和時代初期。おそらく昭和16(1941)年前後。戦前か戦中の頃です。「信濃では月と仏とおらがそば」と風流な俳句が書かれている反面、「長野県下の節米運動に順応してこの御辨當にも麦を混入することにいたしました。少々お口当たりは悪いかと存じますがどうぞご了承下さいませ。」と書かれており、食糧難の時代を暗示させます。

           

戦時中は強制疎開による撤去にもめげず、なんとか生き延びました。しかし、下の掛け紙の事情でおわかりのように、まさにギリギリの状態で戦争を乗り越えたのだろうと推測できます。

   

上は趣味的に言えば珍品中の珍品であり、実は表裏なのです。しかも終戦を挟んで戦前、戦後となっています。

左は戦時中の「御辨當」。「マル公」は公定価格で、これは政府が戦時中で物価高騰を抑えるために定められた価格です。昭和16年〜20年の間に販売されたと思われ、この駅弁の場合は「40銭」です。並等弁当にしては高めですが、戦時中なので仕方ありません。戦艦、戦闘機、戦車、爆弾の絵がいかにも戦争の渦中を表しています。

一方、右は(裏がかすかに透けていますが)戦後です。なぜなら、「30円」となっているからです。米の入った駅弁を作るにも肝心の米が無く、「まんじう」を売るしかなかったのでしょう。戦後まもなくの時代、おそらく昭和20年代前半のものであると推測できます。ではなぜ裏に印刷したのか。それはたぶん戦前の掛け紙で余っていたものを物資のない時代背景も手伝って再利用し、裏に印刷したということなのでしょう。駅弁屋の社名も「中島弁当店」という記述が初めて見られます。

             

上は日付印や価格表示がないのではっきりしませんが、戦後の昭和20(1945〜1955)年代であると思われます。「信濃では月と仏とおらがそば」とは、なんとも小林一茶ふうのキャッチフレーズですね。この俳諧は上にあるような戦前の掛け紙にも出てきましたよね。

             

上は昭和45(1970)年以降の5月27日。「信濃路弁当」。四季折々の山菜を詰め合わせてある幕の内弁当。海老の煮物、凍豆腐、椎茸、蕗、ゼンマイ、ハス、しめじの煮物、きゃらぶき、卵焼き、かまぼこなど。御飯は白飯と茶飯が半分ずつになっていました。

             

上は昭和48(1973)年4月22日の「善光寺御開帳記念信濃路弁当」。内容は上の駅弁と同じです。そして下は昭和53(1978)年1月7日に購入したときの「きじ焼丼」。アルバムに入れておいたのですが、30年も経つとシミがついてしまっていました。


             

下は昭和56(1981)年3月5日購入の「お好み弁当」。描かれている絵は地元が生んだ画家でありグラフィックデザイナーである原田泰治さんの作でしょうか。

          

ということで、まだまだたくさん掲載したいのですが、今回の駅弁撤退が決定してしまった以上、「今までありがとう」と感謝するしかありません。本当に残念です。寂しいです。。。

今は惜別を込め、せめて皆さんが思い入れのある以下の駅弁からお探しになり、それぞれ想い出に浸っていただければ幸いです。


 ★きじ焼丼・★復刻きじ焼丼
 ★とりステーキお好み弁当
 ★豚の角煮弁当・★豚の角煮弁当(加熱式)
 ★笹ずし×善光寺御開帳長野博覧会信濃路弁当
 ★川中島合戦笹ずし信濃路弁当
 ★善光寺会席寺前弁当・★のり巻ちらし
 ★信州おばあちゃんのきのこめし
 ★お朔日弁当文月・お朔日弁当水無月
 ★大人の休日一茶物語★しなの丼
 ★松茸ごはんはじめました。
 ★信州牛すき焼弁当★幕の内ふる里弁当
 ★たけのこ三昧・★山菜栗おこわ

最後に当サイトでお世話になり、長野駅弁に思い入れの深い将棋仮面さんが平成19(2007)年1月20日、長野駅で購入された「きじ焼丼」のパッケージと寄せられたメッセージを掲載しておきたいと思います。

「ナカジマ会館の撤退は本当にショックです。小学校時代から毎年のように長野に出かけ、その度にきじ焼き丼や山菜栗おこわなどを味わっていただけに、思い出も消え去ってしまうような気がしてなりません。今日は最後の「ナカジマ会館のきじ焼き丼」を長野まで出かけて味わってきました。 後継ぎはどこなのか、丼に入ったこの味はしっかり引き継がれるのか心配です。甲府の武田陣中鍋めしも引継のときに廃止されてしまいました。きじ焼き丼も同じ運命をたどるのか…。存続を祈るのみです。」

                


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