「東北の想い」駅弁旅 〜その1〜 

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2011年6月24日の夜から26日まで、東北地方に想いを込めた旅をしました。まずは東日本大震災2ヶ月前の1月、三陸沿いを400qにわたって列車で走破して以来、5ヶ月ぶりの訪問をした気仙沼のレポートから。

今回の大震災で気仙沼湾一帯の町の中心部が大津波や火災で壊滅的な被害を受け、1000人を超える死者、行方不明者を出したと伺っています。お亡くなりになった方々におかれましてはご冥福を、被災された方々におかれましては早期の復興を祈念するばかりです。

      

上は2011年6月26日、気仙沼駅の改札口に掛けられていた看護専門学校の学生が書いたと思われるメッセージ。裏には千羽鶴が添えられていました。その気仙沼駅で5月最初から売られ始めたという350円のお弁当を紹介します。

      

気仙沼駅には2006年4月からキヨスクで売られていた「纜弁当」や、安くて旨いという評判だった「黄金龍のハモニカ飯」など、気仙沼観光コンベンション協会お弁当サプライヤー委員会がプロデュースした名物駅弁が健在でした。ところが、調製元が被災し、さらに食材となる海産物を扱う水産会社が壊滅的な打撃を受け、とても駅弁販売をできるような状況にはありませんでした。しかし、復興への願いを込めて、震災後初の製造・販売となるお弁当サプライヤー委員会プロデュースの新商品が出されました。その名も「気仙沼想い弁当」。震災の当日まで気仙沼駅弁を手掛けていた「いこま気仙沼給食センター」が中心となって週替わりでメニューが変わります。

     

これをいただく前に、気仙沼の被災地を回ってみました。南気仙沼駅や港周辺は瓦礫の山。気仙沼湾には石油タンクが津波で運ばれて転がっていました。石油が漏れだして火事になり、火のついた船が町の建物に激突しては破壊し、火を移して大惨事となったようです。

      

南気仙沼駅はめちゃくちゃになっていました。気仙沼線と大船渡線盛方面は今もって復旧のめどは立ちません。線路も至る所でぐにゃりと曲がっていました。

      

左下は陸前階上駅より海側に行ったところにある宮城県立気仙沼向洋高等学校。生徒は高台に避難して無事だったとのことですが、4階の左上まで大波が来たそうです。右下はかつてごく短期間に駅弁が売られていた大谷海岸駅のホーム。5ヶ月前には松並木の向こうに沈む夕陽が綺麗だったこの駅に、その面影はもうありません。

      

私が気仙沼に来たのは、中にはご批判があるだろうことも承知しておりますが、この惨状の中で立ち上がろうとする気仙沼の方々の思いを、この弁当と共に伝えたかったためです。5月にお弁当サプライヤー委員会のブログでこの弁当の新発売を知り、「委員長の生駒さんは、『現在、地元の振興のためにご尽力いただいている方々へのお礼の気持ちをこめて作りました。沢山の人に食べていただきたい』とのこと。」というメッセージを見て、早期の気仙沼行きを自分なりに決意しました。

    

プラ容器にシールが貼ってあるだけのお弁当で、厳密には駅弁ではありません。しかし、実際に食べてみて、駅弁以上の想いがこもっていると感じました。「地元復興まで、負けない折れないくじけない!人の心の痛みを忘れず、地元想いのお弁当でありつづけます。懐かしい味。手づくりしたのは、いつも変わらぬおいしさと優しさ。」 と書かれていました。キヨスクに届けられるのは午前10時〜11時頃。この日は10時40分頃に10個納入されました。

    

この日のメニューは椎茸ご飯に焼きそば、えび天、鮭焼き、磯辺風つくね芋串など。できたてで温もりのある、どこか懐かしく、本当に優しいお弁当でした。お弁当サプライヤー委員会のブログでこの弁当画像を拝見した時には、魚市場がまだ本格的に復活していなかったため、海産物があまり入っていないというような印象を持っていましたし、今回も入っていないだろうと想像していましたが、少しずつ流通が戻りつつあるのでしょう。今は350円の1種類ですが、500円のものも売り出す予定があるようですし、その先にはきっと駅弁復活もあるはずです。

    

改めて震災に遭われた方々にお見舞い申し上げます。その上で、名物駅弁と共に、気仙沼の町が再び甦ることを心より祈念します。そして、駅弁紹介だけでなく、今後も私にできることを続けていきたいという気持ちを新たにしたのでした。

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