今から20年以上前の1982年、私は在籍していたK大学鉄道研究会機関誌「鉄路20号」に、「駅弁の魅力」と題したエッセイを寄稿しています。最近久しぶりに読み返してみましたが、その時の想いは今も変わっていないなあ、と改めて確認することができました。口語体の稚拙な文章ですが、以下、恥を忍んで全文紹介することにします。




駅弁の魅力  〜1982年6月 当時22歳〜

 「べんとー、べんとー!!」
 駅に着いたとたんに耳をつんざく売り子の声です。僕を誰か押さえ付けといて下さい。さもないと、また駅弁を衝動買いしてしまいそうなのです。
・・・いやあ、鉄道旅行の味は駅弁の味、てなことを申しますが、本当にそうですね。駅弁、それは誰もが食べたことある、小さな、かわいい味です。例えば、日本海を車窓に「おお、ここはカニの産地か!」と思って食べる「かにめし」ったおいしいでしょ。駅弁にはその土地のみが作り出せる味が詰まっているんですよ。

 北は稚内の「かにめし」から南は西鹿児島の「さつま鳥めし」まで、僕は10年かかって約500個の駅弁を食べ、今では包装紙を600種1000枚集めるまでに至りました。そりゃあ中には、なんとなく弁当らしく詰め合わせた、粗末な駅弁もあります。例えば東京駅の日本食堂みたいに、機械で大量生産して質こそ充実、しかしなんとなくまごころのこもっていない駅弁もあるのです。でもですね、涙の出るほど気の利いた駅弁だってあるのですよ。
 不慣れな夜行列車の旅。深夜1時を回ったというのに車内は混んでるし、眠れない、ただただ腹が減る・・・こんな時にたとえパンでもいいから食べたい、と思う時のみじめさったらなんと表現したらいいでしょう。せっかく車窓に映る星の煌めきも、鉄路にともる信号の灯も、線路のきしむララバイソングもどこへやら・・・。でも、安心して下さい。全国には深夜になっても駅弁を売っている駅があるのです。静岡(東海道本線)、福島、一ノ関、仙台(東北本線)、塩尻(中央本線)、福知山(福知山線)・・・。深夜まで頑張っている売り子さんに思わず「お疲れさん、ありがとう」って声をかけたくなるのが人情ではありませんか? もちろん弁当だって何倍にもおいしく感じるに違いないのです。

 西鹿児島駅の「とんこつ弁当」。僕は不幸にも現地では巡り会えずに、難波高島屋の駅弁大会ではじめてお目にかかったんですが、その数年前に、どうしても包装紙欲しさに、製造元の「わたなべ」に手紙を出したことがあるのです。「これこれこういう訳で、とんこつ弁当を探したんですが見つからず・・・」てなわけです。するとどうでしょう、一週間ほどして「わたなべ」のご主人が親切にも便せん2枚に、その時の「お詫び」と、とんこつ弁当のつくりかたまで書いて返送してくださったのです。僕はこのとき「とんこつ」が骨のついた豚肉のことであり、いわゆる「とんかつ」とは違うのだなということを、はじめて知ったのです。

 中2の夏、北海道の室蘭本線にはまだC57型蒸気機関車が健在でした。朝、汽笛の音で目を覚まし、親戚の家のある室蘭からの1番列車に乗ると、終点の岩見沢駅に着くころには日もすっかり高くなっています。ホームでふと350円の「イクラ弁当」というのを見つけ、帰りの客車列車の中で食べてみました。どうせイクラがひと粒かふた粒しかはいってないだろう・・・って思うの、あたりまえですよね。ところがどっこい、まさにたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぷりはいっていたからおどろきました。さらに茶めしの上に鮭のそぼろが敷き詰められ、オヒョーのフライ、昆布巻、えびからあげなど、とても350円の弁当とは思えないほど上等な弁当でした。1982年の5月現在、500円に値上がりしていますが、これでも安いと思うし、僕がいまだにこの弁当が日本で一番うまくてぜいたくな弁当だと信じて疑わないほどなのであります。

 「○○おじちゃん、鯛めし買ってきてね!」・・・僕もこの年齢になれば甥や姪もいるわけでして、今4歳と2歳なんですが、上の子が1〜2歳のころ、そぼろのごはんがすごく好きだったことから、よく三島駅まで「鯛めし」を買いにいったものでした。ところが、それに味をしめたのか、以後、東京(予備校)に帰るときでも関西(大学)に帰るときでも、まるで三島駅まで行って再び帰ってくるかのように、「○○おじちゃん、鯛めし買ってきてね!」と言うのです。このごろは下の子も言葉を覚えてきてそう言ったりするんですが、僕はいつもこの約束を3ヶ月ないし半年たってから果たしているという現状なのです。でも、僕の駅弁狂いがちゃっかり血のわけているチビたちにも受け継がれているとは・・・考えるだけでも嬉しくなってしまいます。

 ところで、最近の駅弁は高いだけでおいしくない、という話をよく聞きます。実際そのとおりだと思います。この前も奈良駅で見知らぬおばちゃんと最近の駅弁のまずさについて話し、すっかり意気投合してしまいましたが・・・。神戸駅の「しゃぶしゃぶ風弁当村雨」を筆頭に、ただ高いだけで、値段に見合うほどはうまくないという駅弁が確かに増えています。そのうえ、やたら駅弁がデパートの駅弁大会なるものでクローズアップされ、もはや駅弁ならぬデパート弁になってきたということもあります。

 函館本線、森の「いかめし」も、ついこのあいだまでは150円でした。ところが今では400円です。某スーパーには年2〜3回も登場するし、デパートの駅弁大会で人気の的になって、こりゃイケる、と値上げに値上げを繰り返したのでしょう。広まったという意味では、確かに庶民の味となり得たかもしれません。しかし、旅行者のための気遣いであった「駅弁」は、もはや本来の意味を持たなくなったような気さえするのです。それと共に、味の方もまごころのこもらない日本食堂並みのオートメーション弁当になってしまうのではないか・・・そう思うと心配になってきます。やはり駅弁っていうのは手作りの方がうまいに決まっているし、列車が到着するたびに売り子のオッちゃんが「べんとー、べんとー!!」と売りに来るのがいいのです。近頃大きな駅や新幹線のホームみたいに、駅弁専用の売店があって、おばちゃんがすましながら客を待つというのはダメです!!!!

 いろいろと書いてきましたが、いきつくところ駅弁を愛する者として、まだまだ駅弁にはすたれてほしくない、というのか本心なのです。また、僕のこの「駅弁の魅力」を読まれた皆さんにお願いしたいのですが、今後、どうか駅に降り立つときや長時間列車が停車するときには、キオスクの菓子パンとか立ち食いそばスタンドには目もくれず、ただ駅弁だけに目を向けてほしいのです!! そして、どの駅弁がうまくてどの駅弁がまずいのかを、この僕に聞いて下さい。10年間の経験を生かしてきっといいアドバイスができることと思います。
 そういうわけで、駅弁万歳!!


 なんとも「若い」発言ですねー。特定の駅弁屋さんへの失言についても、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
 
 まあ、これを書いてから20年が過ぎ、大好きだったイクラ弁当はおろか、今では駅弁屋さんも立ち売りも激減してしまいました。私も22歳にして10年間で600種類も掛け紙を集めておきながら、この20年でプラス100種類というのはちょっと情けない気はします。まあ、就職して結婚して子どもも3人できて、駅弁ばかり追っかけできなくなったこと、西伊豆土肥温泉という鉄道のない町や佐久間という奥地に合計8年間も住んでいたこと、などと言い訳はいろいろありますが・・・。そんなわけですから地元にいながら駅弁を食せる冬場の駅弁大会には、最近は好意的です。
・・・とは言え、引き続き駅弁を愛する者として、どうしたら駅弁が昔のように「旅の味」として復活できるのか、これについては今後とも真剣に考えていきたいと思っています。  
                                               2003年10月1日 新幹線品川駅開業の日に。
   
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