大雪の東北駅弁行脚(前編)最終章

このページは「大雪の東北駅弁行脚(前編)」の最終章となっております。このページを駅弁行脚の旅行記としてご覧になる場合、できれば最初のページに戻ってからストーリーを追いつつ最後にご覧になることをおすすめします。

     

2005年12月24日、大館駅でこの駅弁を購入しました。

大館駅「特上鶏めし弁当」1100円(要予約)。この駅弁を手に入れるために、今までの駅弁行脚の中で一番苦労したと思います。

それではこの駅弁を手に入れる、ここまでの道のりを振り返ります。

・・・本当は12月23日の16時50分に特急「かもしか6号」の乗車口デッキ受け取りする予定でした。この日私は「はやて15号」、「白鳥15号」と乗り継いで15時17分、青森に到着、その後15時45分の「かもしか6号」に乗って秋田まで行き宿泊する予定だったのです。しかし、「かもしか6号」になる下り「かもしか3号」が、秋田地方12月の積雪量としては88年ぶりの大雪による影響で東能代駅に立ち往生してしまい、その結果私は青森駅で足止めを食らうことになりました。

それでも後続の16時9分「つがる17号」に乗ってなんとか弘前まで行きましたが、そこでストップ。17時20分の「日本海2号」は運休しないと聞いたので、指定席を確保するものの、一向に来ません。その後、弘前駅で4時間以上待たされていた秋田行き普通列車が19時頃やっと運転するということでしたので、「日本海2号」の指定席をキャンセルして飛び乗りました。が、前の列車が碇ヶ関で雪を巻き込んだということでまたストップ、開通は21時頃という情報でしたが、どうなるかは定かではありません。

これ以上調製元の花善さんにご迷惑をかけられないので、電話で再三連絡を取り合った結果、この日は受け取りをとりやめとし、しかし、私が所有する大正時代の掛け紙のカラーコピーをお渡しする約束もあったので、失礼を承知で予約を明朝に変更していただき、23日は予定さえしなかった弘前で宿泊することになったのです。


         

2005年12月24日、朝6時39分、特急「いなほ8号」は定刻通り弘前駅を発車しました。雪は降っておらず、順調な滑り出しでした。今日こそは大丈夫だ、と私は確信しました。現にこの列車は動いているし、それなりのスピードを出していたからです。

しかし、きのう列車が雪を巻き込んだ碇ヶ関あたりはそうはいきませんでした。反対側の下り線路は完全に雪に埋まり、どうやってこの上を列車が通るのか甚だ疑問でした。もしかして、今走っている線路も先頭部分では同じように埋もれているのか、だとしたら、こんなにスピード出して大丈夫なのか、真剣にそう思いました。

      


そんな不安をかき消すように定刻の7時10分、大館駅に到着。ほっと胸をなで下ろしました。ここで乗車デッキ受け渡しにより、「特上鶏めし弁当」を受け取ります。

ところが、1分停車なのに花善さんが来ていない。ドアから思いっきり身を乗り出して見るけれど、ホームのどこにも見あたらない。せっかく苦労してここまで来たのに、これではすべてが水の泡になってしまう。もう時間がない、発車だ、発車のベルが、、、ベルが、、、え?、、、鳴らないではないか。

するとすぐに構内アナウンスが。「この先の奥羽線で雪による線路への倒木があり、復旧するまでには午前中いっぱいかかる見込みです。青森方面も列車の運転を見合わせています。花輪線は現在動いていますが、今後の見通しはわかりません。ドアは開けておきますので、秋田方面のお客様は車内でしばらくお待ちください。」

目の前が真っ暗になりました。大館は陸の孤島になってしまったのです。この日はクリスマスイブ。3人の子どもたちのためにも、サンタクロースは夜までにここから900キロも離れた我が家に帰らねばなりません。

しかし、嘆いてみても始まりません。花善さんに電話します。すると「おおっ、もう着きましたか。これから先は不通と知っていましたから、油断していました。すぐに行きます。」と初老のしわがれたような声。

1分足らずでやってきた年配の従業員さんから駅弁を受け取り、今後のことを相談します。「1時間に1本バスが出ているから、高速が閉鎖でなければ盛岡や仙台に抜けられますがねえ。。。ちょっと聞いてきますよ。」

     

ここでしばし「特上鶏めし弁当」のコメントを。。。
日本三大美味鶏の1つに数え上げられる比内地鶏の故郷、大館地方。これは鶏肉とスープであきたこまちを丹念に炊込んだごはんの駅弁で、東の大館、西の折尾と称せられる、日本を代表する横綱級の鶏めし系駅弁としてあまりにも有名です。おかずも裏ごしした卵の黄身と白身が、もみじの形をした生麩、栗、絹さやなどと色鮮やかに配置、ゴマがふりかけられた椎茸煮、ハム、練り物、漬け物など、手抜きをしていないことが見ただけでもわかります。

     

この駅で立ち往生した「いなほ8号」の車内から1番線ホームを撮影しました。下は2,3番線ホーム同じです。

     

破れかぶれになりつつも、車内で「特上鶏めし弁当」を撮りつつ、日本一とも言われるこの鶏めしをほおばっていると、花善さんが再び、今度は座席までやってきてくれました。

     

その話では、運良く7時50分発の秋北バス盛岡行きは走るらしいとのこと。時計を見るとあと10分。もうこれしかない。すぐさま下車し、みどりの窓口で上り「こまち12号」の指定席を翌日の下り「こまち」に換えてもらい、売店で普通の「鶏めし弁当」を自分の分と家族への土産に2個買って、バスに飛び乗ります。

       

思えば大正時代の駅弁掛け紙こそ渡しましたが、駅前の本社に出向いてご挨拶することさえもできず、逃げるようにして大館の町を去ることが悔しかったです。次こそはゆっくりとおじゃまして、ギャラリーに展示されているという戦前の私が提供した掛け紙を見よう、この日に渡した掛け紙もきっと加わるだろうから、楽しみはあとにとっておいて、、、と何度も自分に言い聞かせたのでした。下は同じ日に購入した「鶏めし弁当」850円。こちらは予約なしでも買える通常品です。盛岡へ向かう高速バスの中で賞味しました。

     

ここから少し昔にタイムスリップします。下は2004年1月13日、京王駅弁大会で購入したもの。錦糸玉子になっています。

     

これは「振り玉子」だと輸送の間に傷みやすいと言う理由で錦糸玉子になっていると思われます。

     

下の右にある画像について、左の白い掛け紙がが1986年3月9日購入。右の赤い掛け紙が1996年3月29日購入。

  

1986年に初めて食べたときは同和鉱業小坂鉄道の車内でした。あまりに美味しかったので後でもう一度買おうとしたら売り切れでした。花岡鉄道を乗りつぶしてから再度試みましたが結果はおなじ。そういう経験も含めて、私にとっては忘れられない駅弁の一つです。下は2006年12月9日、はぼきさんが購入したものです。

        


再び2005年12月24日、大雪のホワイトクリスマスイブの話に戻ります。

      

下はバスの中から見た花輪線の鹿角花輪駅。こんな様子でしたから、花輪線に乗っても盛岡までたどり着けたかわかりません。秋田地方12月にしては88年ぶりの大雪。高速道路が閉鎖になっていなかっただけでも感謝しなければなりません。

      

秋田の駅弁屋さんには事情を話して謝罪し、予約は明日に繰り下げてもらい、この日の損失分についてはこちらで弁償することを伝えました。最終的には事情が事情なだけに、またキャンセル分は通常販売で売れ、そして翌日取りに行けたこともあって、損失したお金を支払おうにも受け取ってもらえませんでした。今回の件について、関根屋さん、泉秋軒さん、そして大館の花善さんには改めてお詫びすると共に、ご配慮に感謝いたします。

      

上の画像はバスの中から撮影した「鶏めし弁当」と鹿角花輪駅です。結局花輪線に平行して走っていたことになります。高速道路では前にラッセル車が走っていて、バスはなかなかスピードが上げられませんでしたが、それでも10時半過ぎ、予定よりも20分遅れくらいでなんとか盛岡駅に到着できました。



こうして花善さんのおはからいで高速バスを選択し、私は運良く、というか奇跡的に鉄道麻痺の大館を脱出し、盛岡へと抜けることができました。そこから東北新幹線、東海道新幹線を乗り継いで、夕方には予定通り自宅に戻ることができたのです。

そしてその後には家族でささやかなパーティーをし、その日の深夜には、今年も上ちゃんちにサンタクロースはやって来たのでした。。。

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