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最近はパッケージタイプが多くなってしまい残念ですが、駅弁にはそれを包む「掛け紙(かけかみ)」と呼ばれる紙(ラベル、レッテル)が付いており、「かけひも」と呼ばれるひもで十字に結ばれて売られています。

そして、その掛け紙には例えばその地方の名勝地など、いろいろな絵が描かれており、中にはその時代を反映するような絵やスローガンなどが描かれている場合もあります。ここでは、特にその時代の生き証人として駅弁掛け紙が語る歴史を眺めてみましょう。




左は1922(大正12)年3月10日から7月31日まで東京上野の不忍池で「平和記念東京博覧会」が開催され、平和館、建築館、農産館や満国館、朝鮮館などの他、北海道館も造られました。
当時は日英同盟にアメリカ、フランスが加わる四カ国同盟に移行しつつあった時期で、皇太子(後の昭和天皇)が初めて海外(英国)へ訪問した頃でもありました。
日露戦争に勝利し、第一次大戦でも戦勝国となった大日本帝国の勢いを感じる、そんな時代に北海道の「下富良野」という小駅の駅弁屋さんが販売した駅弁(上等御辨當・40銭)の掛け紙です。

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昭和3年11月23日午後2時。
京都御所での昭和天皇即位式の様子をイメージした絵柄でしょうか。
宮殿は天皇の儀式が行われる紫宸殿で、右近の橘と左近の桜があります。右手前の太鼓は火焔太鼓と呼ばれる大太鼓で高さ10メートルくらいのもの。舞楽に用いる低音の太鼓です。2羽の鳥は鳳凰でしょうか。

昭和の御大典は昭和3(1928)年11月10日京都御所での即位式をはじめに、14日から15日にかけて大嘗祭が行われ、16日からは御大典を祝う一般市民の提灯行列や旗行列が盛大に行われたようです。

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昭和13年3月15日午前6時。
昭和12(1937)年11月に締結された日独伊三国防共協定を記念した名古屋駅の駅弁です。鳩の胴体にドイツ、両翼に日本とイタリアの国旗がデザインされています。胴体が日本でなくドイツなのは、やはりドイツが力の上では中心に立つということでしょうか。
この協定は昭和11年に結ばれた日独防共協定から発展した相互防衛協定です。

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昭和15年に岡山駅で販売された皇紀2600年を記念した和洋御辨當です。
紀元2600年の奉祝行事にでてくる鳥は「金鵄」といい、天上に棲む鳥だそうです。この鳥がまず暁を告げて鳴き、続いて他の鳥たちが鳴くという言い伝えがあります。

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昭和16〜20年?月22日11時。
この駅弁掛け紙は亀山駅・いとう弁当さんの「おいも弁当」です。これは戦時中に不足したごはんの代わりにいもを入れて、あるいはごはんにいもを混ぜて売り出した駅弁です。物価の高騰を抑えるために政府が決めた停止価格20銭での販売でした。

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昭和16年頃。高山駅で販売。
政府が決めた停止価格30銭での販売となっています。
この当時は太平洋戦争が本格的に始まり、お茶用の土瓶が品不足になってきたため、「水筒をなるべくご携帯下さい。」と書き添えられています。
「戦地偲んで感謝の節米」、「国民精神総動員」というスローガンや、伊勢神宮に向かって礼をしている大人と子ども(女学生)の絵が時代を物語っています。


昭和17年8月。松江駅で販売。
「戦ひ抜かう大東亜戦」、「勝って兜の緒を締めよ」という戦時下スローガンが左右に躍り、真ん中には兜、そして日の丸の中には大東亜共栄圏の地図が描かれています。
定価は昭和16年以降の「停止価格」30銭。国民の精神を総動員して第二次世界大戦(太平洋戦争)に臨んでいたと言うことがよくわかる駅弁掛け紙です。



昭和16年以降。米子駅。
「欲しがりません 勝つまでは」という戦時標語は子どものイラストと一緒に配置されると何とも言えない痛々しさを感じてしまいます。


以下、準備中。


発展学習

※このサイトにある駅弁ノスタルジアのページを見て、昔の駅弁掛け紙からわかる当時の様子を話し合ってみよう。

   
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