大正後期と思われる「上等御辨當」。下の欄外には「鐵道局公認鐵道辨當改良包装及広告取扱 東京麹町一番町株式会社三重商店」と書かれています。下富良野駅は現在の富良野駅です。

            

下の「御辨當」にも同じ記述があります。広告に出ている「國民新聞」は明治23(1890)年に創刊した新聞で、現在も続いています。大正中期には大衆化が図られ、東京5大新聞の一角を占めるようになりますが、大正12年9月1日の関東大震災により打撃を受けて経営が厳しくなったようです。この駅弁の広告は、そう考えると、それ以前のものかも知れません。「サクラ正宗」の広告も出ていますが、新聞などには大正8〜12年頃よく見られたそうです。

            

下の掛け紙は全国共通絵柄のものの1つです。1922(大正11)年3月10日から7月31日まで東京上野の不忍池で「平和記念東京博覧会」が開催され、平和館、建築館、農産館や満国館、朝鮮館などの他、北海道館も造られました。
当時は日英同盟にアメリカ、フランスが加わる四カ国同盟に移行しつつあった時期で、皇太子(後の昭和天皇)が初めて海外(英国)へ訪問した頃でもありました。日露戦争に勝利し、第一次大戦でも戦勝国となった大日本帝国の勢いを感じる、そんな時代に北海道の「下富良野」という小駅(現在の富良野駅)の駅弁屋さんが販売した駅弁(上等御辨當・40銭)の掛け紙です。

               

「正しき英国国旗と国歌」という絵はがきの宣伝が右上にあります。また、下の部分には英国皇太子殿下あての「奉迎文」があり、「日本帝国臣民はあらゆる歓喜、あらゆる祝福、あらゆる敬意を以て謹んで御歓迎申し候。茲(ここ)に殿下の御健康と御繁栄を永遠に祈願し得るは帝国臣民の最も光栄ちする所に有り之申し候。英国皇太子殿下 萬歳!!!」と書かれています。これは、とどのつまりは「平和記念東京博覧会」で来日(大正11年4月12日)した英国皇太子ウインザー公を歓迎する文章で、英語でも書かれています。

新潟県在住の貨車さんより2004年4月に補足説明をいただきましたので以下に原文のまま掲載します。
この駅弁では「日英同盟」(1902)がうたわれていますが、この時期まさに「大英帝国」はこれを破棄せん、として大日本帝国はおおわらわでした。もともと日英同盟は日英と政治的に敵対していたロシア帝国けん制のため締結されました。ロシアは歴史上有名な「三国干渉」のときの盟友フランス共和国とドイツ帝國となかがとてもよく、シベリア鉄道自身がフランス資本なのです。
たいして日英同盟ではバルティック艦隊の寄航する英国植民地では「石炭供給ボイコット」などをしてバルティック艦隊をしめつけます。
さて摂政宮・皇太子裕仁親王殿下、のちの昭和天皇陛下の欧州ご訪問はそういう意味から英国重視でした。そしてまず最初にご訪問されたのは沖縄で、ここで「沖縄県営軽便鉄道」のお召列車にご乗車になられました。


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