南紀の春・駅弁旅
〜その1〜
2009年3月1日、大阪から紀伊勝浦駅まで、一足早い春を求めて往復旅をしました。天候に恵まれ、南紀の陽射しは春を通り越して夏の雰囲気。まずは、2007年に紀伊田辺駅で生まれ、定着しつつある駅弁を求めて途中下車しました。
午前10時ジャスト、特急くろしお1号からホームに降り立つと、1番線ホームにある立ち食い蕎麦屋のガラスに書かれた「弁当」の文字が「××」で消されているのに気づきました。駅そばも手がけた調製元あしべが2008年5月25日をもって閉店し、紀伊田辺および白浜駅の駅弁から撤退した名残に気づかされます。しかし、そんな撤退を見越してか、地元の要望で2007年末からテスト販売を経て、2008年秋頃から別業者によって再び紀伊田辺駅での通常駅弁販売が始まったと聞き、訪問を楽しみにしていたのでした。
ここでテスト販売されていた頃を振り返ってみたいと思います。下は2008年5月25日にはやしさんが購入した「弁鶏」。2007年12月からテスト販売され、その後2008年4月19日から5月31日までの土日に販売されたお弁当です。貴重な画像どうもありがとうございました。以下はコメントです。
「田辺の駅弁、弁鶏です。調製は、矢野 味三昧本店さん。再び販売はあるのでしょうか。」
ということでしたが、なんとか無事に紀伊田辺駅弁として定着し、2009年3月1日現在、紀伊田辺駅のキヨスクには朝9時頃から3種類の駅弁の1つとして「弁鶏」が置かれています。下の画像をよく見ると、あしべが調製していた往年の名物駅弁
「紀州てまり弁当
」が復活していました。ただ、今回のお目当てはそれではなく、左端に積まれた「熊野古道めぐり」でもなく、あくまでも右端にある「弁鶏」です。
今回のターゲット「弁鶏」。「べんけい」と読みます。田辺市が牛若丸(源義経)とのエピソードで知られた武蔵坊弁慶の出身地であることから、それに因んで付けられた新しい駅弁です。駅弁コンテストで生まれました。
今回は駅での売り切れを心配し、事前に予約していた調製元「味三昧」さんへと向かいます。紀伊田辺駅前からまっすぐ歩き、信号2つを超えた左側にそのお店はあります。徒歩5分もかかりませんでした。
店内には事前予約した「弁鶏」「紀州てまり弁当」の他にも掛け紙を使用したお弁当(「花暦」「とりめし」「花の彩」「ちらしずし弁当」)が売られていました。今のところ駅売りはしていないようですが、もしそれが実現したら次の訪問機会にでも購入してみようかと思います。
駅弁「弁鶏」を受け取り、お店を出て、さらに3分ほど奥に向かって歩いたところにある「闘鶏神社」へと向かいます。その名の通り、「闘鶏」に由来している神社でした。
闘鶏神社の境内にあった「弁慶」像と「弁鶏」とのツーショット。弁慶の右隣は父である熊野別当湛増でしょうか。石像の左横には「弁慶の里」という清酒樽も見えます。
源平合戦の平安時代、当時の海上軍として最強を誇った熊野水軍の力を借りるべく、源義経の家来である弁慶は熊野別当であった父湛増に、源氏に味方するよう説得します。湛増は息子の提案に同意しますが、神意を確かめるため、紅白に分けた鶏7羽を闘わせたところ、源氏方の白が勝利し、自分の決意が正しいことを悟りました。
そこで湛増は、屋島、壇ノ浦に向けて水軍2000余人を源氏の援軍として投入します。これにより源氏の勝利に大きな貢献をしたと伝えられています。駅弁「弁鶏」とは単に「弁慶」の語呂合わせかと思っていた私ですが、実はその名には、このような素晴らしい由来があったのでした。
駅弁「弁鶏」を手に、再び紀伊田辺駅に戻ります。駅前ロータリー横にも弁慶像がありました。ここでも「べんけい」同士でツーショットです。
紀伊田辺駅から特急オーシャンアロー5号に乗車します。景色を見ながら「弁鶏」をいただくことにしました。
「弁鶏」の中身です。紀州の地鶏を炙り焼きにしたお弁当です。五目炊き込みごはんの上には鶏そぼろと錦糸玉子が敷かれていました。奈良漬け、甘栗が添えられています。
紀州備長炭で炙っているだけあって、鶏肉には香ばしさも感じられます。噛んでいると旨味が染みだしてくる、とても美味しい鶏肉です。
駅弁に車窓風景はよく似合います。トンネルに入り、出ると青い大海原、そしてまたトンネル、出ると大小の島々、磯の風景。漁村の鄙びた雰囲気にも味があります。
紀伊田辺駅からさらに南下して、今回の目的地、紀伊勝浦駅に向かいます。自由席の車内は私以外、誰もいなくなりました。前の座席を回転させて靴を脱ぎ、シートの上に足を延ばしました。いい気分です。
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