元旦新潟親子旅 〜その3〜
2008年元旦、私と小2の息子は雪遊びをしに正月パスを使って新潟方面を旅しました。新潟、長岡で下車し、長岡では雪だるまを作って遊び、さらなる雪遊びを求めて、いよいよ最終目的地である雪深い越後湯沢駅に到着です。
ここでも遊ぶ前に駅弁チェック。2007年11月17日より土日限定で売り出したという「越後糸魚川笹すし」750円を買ってみたかったのですが、この日は売られていたにもかかわらず、すでに売り切れてしまいました。調製元は
根知谷笹すし総本舗九郎右ェ門というお店だそうです。左下の画像がそうで、見本だけ撮らせてもらいました。今度来るときにはしっかり予約しないといけませんね。また、右下の画像は私が購入して食べた池田屋さんの越後湯沢駅限定「まんぷく釜めし」ですが、これはまた
他のページでご紹介することにしましょう。
さて、今回の私のねらいは息子に「もうやめよう」と言われるまで雪遊びに付き合うこと。越後湯沢の駅前を徘徊し、遊べそうなところを探します。そして、ありました。ちょっとした駐車場が。ここが2人の雪合戦場となりました。左下の画像、マイクロバスの屋根の上にも1メートル近く雪が積もっていますね。これから雪の乱れ投げとなったわけですが、長靴で重装備してきたにもかかわらず、足のつま先が冷たくなりすぎて、ついに息子が弱音を吐きました。足が凍りそうだからもうやめようと。そこで、駅前の暖かそうなお店「
越後湯澤 HATAGO井仙」で「くるみもち」をいただきました。私は「温泉コーヒー」を。
そして、あとは駅弁を買って帰るだけ。実は息子はかねてから私に言われ、越後湯沢駅で食べたい駅弁がありました。それは大好物のタラコとイクラが入った
川岳軒(
川岳軒ブログ)「いくらたらこめし」です。2003年3月15日、息子がまだ3歳7ヶ月だったとき、土日きっぷを使って家族でガーラ湯沢に来たことがありました。当時はまだ小学生だった上の娘たちと私が雪合戦をする中、幼児だった息子は加わることができず、妻に抱かれてそれを見ていました。デジカメも持たず、中身の画像も撮っていませんが、帰りの新幹線の中で「かにずし」など、いくつかの駅弁を分け合って食べたとき、息子が独り占めしていたのが下の「いくらたらこめし」だったのです。(今思えば「ジャンボいくらたらこめし」を事前予約して買うという手もありましたね。。。)息子にとっては遠い風化した記憶、でも、私はしっかりと覚えていた駅弁、それがこの「いくらたらこめし」でした。
下は2008年1月1日、越後湯沢駅で購入した「いくらたらこめし」1000円。
驚いたことに、嫌いな椎茸を私がやっつけた他は、息子はすべて完食してしまいました。最初に椎茸があった下の部分のごはんと刻み海苔、次に錦糸玉子の部分、そしてイクラの部分、最後にタラコの部分というように、きれいに区画整理しながら黙々と食べています。
どうやら息子の中では1番の好物はタラコのようです。聞いてみるとやはりそうでした。最後に一番好きなものをとっておくのは父親譲りかもしれません。ごはんを一粒も残さずに、どうだと言わんばかりの得意げな顔で私に空っぽのわっぱを見せるあたりは、もう4年前の幼児の面影は全くなく、8歳のたくましい少年でした。
下は2006年9月2日、将棋仮面さんが越後湯沢駅で購入した「いくらたらこめし」。
将棋仮面さん、貴重な画像どうもありがとうございました。以下はコメントです。
「越後湯沢に行き、ゲットしました。 コシヒカリのご飯に、醤油漬けイクラ、ほぐした生タラコ、椎茸の甘辛煮、錦糸卵、香の物にダイコンのみそ漬け、という中身。味付けは素材の味を生かすためか至ってシンプルでした。」
再び2008年1月1日、越後湯沢の話。乗車した新幹線がこの日初めて2階建てではないことに少々不満な息子は、駅弁を食べ終えるなり、ニヤリとはにかんでポケットに隠し持っていたDSを見せ、いい?と聞いて、呆れ顔の私が頷くと、待ってましたとばかりにゲームに興じだしました。家だと母親に時間制限をかけられているし、この日はそれでもここまでゲームをせずに車窓を見ていたので、まあいいかと許す私。長いトンネルを抜けると、車窓は雪国から一気に普通の田園風景になってしまいました。この旅もそろそろ終わりが近づいてきたようです。2008年最初の旅は、お正月ムード漂う東京駅の、おめでたい駅弁で締めたいと思います。
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