昭和31年9月1日。
「外食券引換制度」は昭和31年まで続きました。それから逃れるための「等外米精撰製品」としての駅弁はここ横浜でも売られていました。他に、小田原、沼津、静岡など、東海道沿線東部の駅弁屋に多く、これらはこの儲けで戦後の混乱期を乗り切り、現在の地位を築く礎になったと言われています。

このお弁当は昭和28年から売り出されました。10年後の昭和38年には1日に4000個も売り上げる人気駅弁となっていきました。


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