昭和18年3月28日午前12時。
「中津名産」とあると名物の特殊弁当だと思われがちですが(もちろんその通りでしょうが)、時代は大東亜戦争のまっただ中、これは亀山駅「おいも辨當」のように白米の代用弁当だったと見るべきでしょう。なぜならば「戦地偲んで感謝の節米」という戦時標語がありますし、名物のそばをわざわざ海苔巻き寿司みたいにしなくても、ふつうに出した方が自然だからです。
物価の高騰を抑えるために政府が決めた停止価格25銭で売られていました。

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