1974年7月28日。
明治21年、山陽鉄道の開通にあたって現在の姫路駅近くで茶店「ひさご」(現在の
まねき食品
)を開いていた竹田木八が駅構内で「幕の内辨當」販売の認可を受け、翌年から売ったというのが真相のようです。
二段重ねの折詰辨當で値段は12銭。当時は米が一升6銭の時代。上の折には鯛の塩焼き、焼き蒲鉾、伊達巻き、きんとん、野菜の煮物など、13種類のおかずが入っていたようです。下の折には黒ごまをまぶしたごはんが入っていたということです。
1975年6月21日。
1899(明治32)年に当時の山陽鉄道直営ではじまった列車食堂事業でした。
日本食堂の前身は戦前からある列車食堂の東洋軒、共進亭です。
列車食堂では食事時になると
チラシ
を乗客に配って食堂車に招き入れたようです。
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