1899(明治32)年に当時の山陽鉄道直営ではじまった列車食堂事業ですが、経営はうまくいかなかったらしく、明治34年、神戸「自由亭ホテル」、つまり後の「みかど」がこれを引き受けることになりました。
「みかど」は東海道本線、鹿児島本線、北陸・羽越本線、函館本線などに営業を拡大し、そばなども含めた構内食堂も展開しました。今でもたとえば函館には駅弁業者として残っています。ただ、2003年11月29日、発祥の地である神戸駅構内レストランは閉店しました。

列車食堂はみかどの他に精養軒、伯養軒、東松軒(後の水了軒)、東洋軒(後の日本食堂)、共進亭(後の日本食堂)が戦前からあり、戦後には1953年に帝国ホテル、1956年に都ホテル、新大阪ホテルの参入などがありましたが、1972年、北陸トンネル内の食堂車失火事故などから衰退し続け、1993年には東海道の夜行特急からも姿を消しました。

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