上は昭和30年代か。
「洋食辨當」ないし「洋食弁当」は戦前にはたまに見られますが、戦後(昭和40年代まで)はあまり目にしません。その意味では貴重な掛け紙です。近江牛ステーキでも入っていたのでしょうか。。。
下は日付が薄いですが25日と判読できます。価格は「¥.50」ということは、「50銭」なのでしょう。つまり、戦前ということになりそうです。
調製は「加藤利恵」と個人名。女性が弾いているのは琵琶でしょうか。車窓から琵琶湖の風景が見えます。「LUNCHEON」と書かれ、さらには「洋食御辨當」と書かれています。絵柄は大正ロマンを思わせます。おそらく大正時代後期なのでしょう。電話は8番。井筒屋は5番と6番ですので、別の駅弁屋と思われます。
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