道央駅弁の旅 〜その3〜
2005年7月22日、旭川で宿泊した私は、翌朝に駅弁を2つほど買い込んで、トコトコ走る宗谷本線のディーゼルカーに乗車しました。
名寄行きキハ54に乗車。乗車率約半分、斜め前の高校生が窓をあけており、時おり軽油のにおいがして、ノスタルジックな雰囲気を感じさせます。前のおじさんがいきなりスイッチを入れ、旧国鉄時代の扇風機を回しました。すると、私の食べていた「助六寿司」の掛け紙が飛ばされてしまいました。それに気づいたおじさんがあわててスイッチを消して謝ります。気にしなくてもいいですよ、おじさん。それもまた旅の思い出。
かくして、全くのどかな世界がここ宗谷本線の列車にはあるようです。
画像をカーソルで触れてみて下さい。すると中身の画像が出てきますよ。下の駅弁も同じ。
2005年7月23日購入。いずれも名寄行き普通列車の中でのんびりと賞味。
その昔、この区間をC55が牽引する普通客車列車に乗りました。向かいに座っていた高校生くらいの女の子は白い麦わら帽子に白いワンピースを着ていました。塩狩峠を越える真っ黒なSL列車の中にあって、そこだけがなにか別世界のような気がしたものです。中2の夏に抱いた小さな恋心とでもしておきましょうか。。。
列車は三浦綾子の小説で有名な塩狩峠に到着。画像は旭川駅「助六寿し」。その上の「だいせつ寿し」の方は中2の夏(1974年)にも食べたかもしれません(実は食べてなかったみたい)。30年以上も止まっていた時間がいまようやっと動き出したような気がします。
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