最初は自己満足の見せびらかしサイト。。。

2003年9月16日、ウェブ上にデビューした「駅弁掛け紙の小窓」サイトから、あっという間に1年が経ってしまいました。当初は「駅弁掛け紙」の名が示すように、私が13歳から本格的にはじめた駅弁掛け紙収集30周年を記念して作った、全く個人的な自己満足の「見せびらかし趣味サイト」としてスタートを切ったものでした。

そんないいかげんな気持ちですから、最初は自分の収集品を並べて過去の旅愁に浸っていればそれでよかったのです。けれども、サイトを立ち上げてしばらくしてみると、いつまでも現実の駅弁から目を背けるわけにもいかなくなってきました。なぜならば、私が駅弁から遠のいていたここ20年の間にはいろいろな変化があり、自分が知っていた、よく食べていた駅弁が、特にここ数年で急速になくなっていった、つまり駅弁屋が次々と廃業に追い込まれていった、という現実に気づかされてしまったからです。

30年前といえば駅弁全盛期が終わりを告げようとしていた時期です。そんな時代から一世代経った今、自分が昔知っていた駅弁や、それらの駅弁の醸し出す旅情が現在の鉄道から消えてしまいつつあることを、時代の流れだと言ってしまえばそれまでです。確かに列車の窓を開けて立売から駅弁を買うとか、普通列車の中でボックスを占領して、ポリ容器のあったかいお茶を片手に、のんびりと経木折の駅弁をつつくとか、そういうことは現実的にとてもしにくい、あるいはありえない時代になってしまったように思います。

しかし、だからといって竜宮城から浜へ帰ってきた浦島太郎のような心持ちで、変わり果てた(駅弁が衰退の一途をたどっている)現実に呆然と立ちつくし、受け入れることができないまま「昔は良かったのに・・・」と郷愁に浸りながら、ただ指をくわえて老人の懐古趣味に走る自分になる、というのもまた嫌だったんです。つまり、駅弁そのものが時代の流れに負けてしまうのはたとえ避けられない運命だとしても、自分が愛してきた駅弁を最後まで応援していく姿勢こそ大切であると。。。

クサイ言い方をすれば、駅弁を守るのは駅弁の全盛期を少しなりとも知っている「駅弁浦島太郎」=自分の務めである、と思うようになったのです。いかにも理想主義の「教師」という職業の人間が考えそうなオメデタイ考えですね。自分で書いていても恥ずかしいです。。。でも、これが私のサイトの、本当の意味でのスタートラインだったのです。

「駅弁を愛する熱弁サイト」への転換。。。

さて、そこで11月1日より自分のサイト名を「駅弁の小窓」と変え、「駅弁を愛する熱弁サイト」という笑いたくなるような、でもマジメなキャッチフレーズを掲げて、掛け紙だけでなく、総合的な駅弁の魅力を、色々な切り口で色々な人に知ってもらいたい、ということに焦点を絞って、新しいサイト作りをするように方針転換をしたのです。

もともと私には「駅弁道」のような(例えば完食主義、駅弁大会嫌悪主義などの)こだわりがあるわけではなく、また、駅弁の体裁や味などについてあれこれと自分の好みや優劣を述べる「駅弁評論家」志向や、数多く駅弁を食べることで「駅弁王」の称号を獲得したいなどという「駅弁の達人」的志向など、総じて言えば駅弁学を深く追究し、極めることで「駅弁の権威」のような有名な存在になりたい、などという大それた気持ちはさらさらありませんでしたし、今でももちろんありません。そもそもそれ以前に、そんなふうになれる自信もなかったので、とにかく泥まみれになりながらも、駅弁を愛する自分らしい何らかの方法で、一般の人が駅弁に興味を抱き、もっと駅弁を好きになってもらえるためのコンテンツをひたすら考えようと思いました。

駅弁レシピ、駅弁対決、駅弁ノスタルジア、駅弁大会情報、駅弁工場見学記、通販駅弁情報、駅弁画像掲示板、「駅弁の達人」グループ挑戦イベントなど、今ある数々のコンテンツは、あくまでも駅弁に興味がなかった人に駅弁の魅力を知ってもらうための入門的なコンテンツのつもりで作りました。言ってみれば「駅弁テーマパーク」を目指したわけです。駅弁マスターの方から見れば物足りないコンテンツに思われるでしょうが、入門者向けのサイトだし、また、初心者以外の方でも、駅弁を楽しむことに主眼を置いていただければ、それなりに暇つぶしくらいにはなるサイトだろうから、それはそれでいいと思いました。

ところで、私は駅弁屋さんと知り合いになると、ホイホイと無償で宣伝協力をします。が、これも私なりの駅弁ファン・ポリシーの一つなんです。そんな私のことをスタンドプレイヤーやミーハーとみなして鼻につくという方も中にはいらっしゃるでしょうが、自分としてはこれでも駅弁ファンとして純粋な気持ちから発した行動のつもりなんです、すみません。駅弁の、そして駅弁屋さんのために自分は何ができるのか、ということを考えた結果の行動に過ぎないのです。ですから、例えば新所原駅のように、掛け紙のなかった駅弁屋さんへ自作した掛け紙を提供したり、札幌駅弁でアイデアが採用された「北海道ニッポンハムファイターズホームラン弁当」のように、駅弁レシピコンクールに応募したりしているのです。駅弁の未来のために、できることならなんでもしたい、たとえ自己満足だと言われても、それが私なんですね。。。

なぜそこまでさせるのかって、それは駅弁趣味において長いブランクがあった「浦島太郎」の私が、今の駅弁を眺めたとき、根底には「このままでは駅弁は消滅してしまう」という類の、常に悲観的な想いが人並み以上、いや、劇的と言えるほど強烈につきまとっているからなんです。そして、その想いがある意味で私をストイックにさせていることは否めませんし、みなさんから見れば、私が必要以上にあせり、まるで伝道者のごとく駅弁のアブナイ布教活動をしているように見えてしまうのかもしれませんが、私にとっては当然の想いや行動であって、むしろその危機感が駅弁を応援する糧にもなっているんですよ。これってやっぱりアブナイですかね・・・。

ここまでくると、なんか自分の趣味の範囲を超えてしまっているような気もしないではないですね。でも、何かのために役に立ちたい、今は駅弁のためにも役に立ちたい、だから行動する、というのは、自分が今まで生きてきたパターンでもあり、かっこよく言えば私の信条でもあるため、無理をしているという自覚は決してないんですよ、ハイ。

1年間で700食以上食べた駅弁バカ。。。

一方で、駅弁だけでなく、ウェブサイトを立ち上げるということは、それをご覧になるみなさんの視線を意識せざるをえないということでもあります。これはサイト管理者になってはじめてわかるプレッシャーでした。駅弁ファンサイトを立ち上げた以上、駅弁に関してそれなりに発言しなければならないし、時に、偉そうなことばかり述べていても知識や姿勢が伴わない、と見なされてしまうのはとても辛いことです。そこでそうならないように、資料集めはもちろん、出来る限り毎日更新し、訪れるみなさんを飽きさせない努力というのは(結果や評価はともかく)、サイト管理者として当然しなければならないことだと考えられました。

だから自分なりに、出来る限りの努力だけはしたつもりです。特に駅弁の掛け紙は、立ち上げ当初は700種類まで届かないくらいの画像掲載数リストでしたが、この1年でなんとか2100種類あまりの画像掲載にまで増やすことが出来ました。ちなみにこの1年間で増えた1400種類以上のうち、自分で食べて新たに中身の画像をアップしたものは約660種類でした。なお、実際には何度も重複して食べた駅弁がありますので、この1年間で少なく見積もっても約700食以上の駅弁を食べたことになります。これは単純に考えると1日平均2個ですね。もちろん最初からそうしようと思ってしていたのではなく、気づいたらそうなっていたということです。

約20年という駅弁離れのブランクを埋め、駅弁サイト管理人として、駅弁に関していっぱしのことを述べられるようになるためには、これくらい駅弁バカになって食べ続けることで、プレッシャーを押しのける必要があったんだなあ、とは1年経った今だからこそ思えることですね。。。振り返れば、30年かかって食べてきた駅弁とほぼ同数を、たったこの1年間で食べたことになり、一方ではこんな馬鹿げたマネはもう2度とするまい、と心に誓ってもいますけど・・・。

また、残りの約700種類はオークションやら古物商めぐりやらで集めた、ノスタルジアのお宝駅弁掛け紙です。ご想像の通り、お金もたくさん使いました。で、収集数もこれだけの数になると、入手したものの半分以上はすでに収集済みなのですよ。ですから重複品も山のように増えてしまい、実際にはこの1年だけで2000枚以上は増えたことでしょうね。しかし、その甲斐があってか、明治時代のものや満州、朝鮮などの外地もの、戦争ものなどのいわゆる「レア物」をいくつか手に入れることができ、歴史資料としてご覧になる上ではそれなりのボリュームになったのではないか、と自負できるほどになりました。

そして教師根性も手伝ってか、これらの歴史資料とも言うべきお宝は、他の資料も含めて、将来的には全国の子どもたちの「総合的な学習の時間」資料として、教育的に使ってもらえるように整備していきたいと思っています。実はこのことこそ最終的なこの駅弁サイトの存在意義なのだ、と固く信じているのです。だから、必ずいつの日か完成させようと思います。教師の私だからしたいんです、だからさせてくださいね。もちろん駅弁がなくなってしまう前に、そして何よりも駅弁をなくしてしまわないために、駅弁の未来を子どもたちに託したいんです。

「駅弁」は「駅から出る」という発想の転換が必要。。。

ここで、現在の駅弁を取り巻く状況に目を向けてみましょう。決して安穏としていられるような時ではありませんね。例えば駅弁大会が各地で盛況なのは、確かに旅行気分を自宅で手軽に味わえたり、そう簡単には旅行が出来ない一般庶民の悲しき現実の補償作用であったり、ということも考えられますが、単に列車の中でゆっくりと駅弁を食べる雰囲気がなくなった「今という時代」の裏返しであるとも考えられます。

いずれにしても時代が駅弁大会を求めているというのは事実ですから、駅弁屋さんが元気になれるというこのイベントには大賛成の私です。駅で買って列車内で食べる客以外に駅弁が売れるんですから、「駅弁」本来の姿がどうのこうのというご託を並べるまでもなく、すばらしいことじゃないですかねえ。そんなわけで、駅弁大会はもっともっと開催すべきです。このサイトでもますます情報を流していくつもりです。

ふと思うんですが、もはや駅弁は列車内で食べる「汽車弁」ではなく、テイクアウトの「自宅お持ち帰り弁当」になってしまったのかなあ、と考えてしまうのは私だけでしょうか。。。実際、現代において列車の中で普通に駅弁を食べられるという雰囲気がありそうなのは、車内販売のある特急列車だけだと私は思っています。昔のように、停車時間を利用して駅弁を選び、買う楽しみが出来るのは、皮肉なことに今の時代では東海道新幹線の「こだま」だけになってしまったような気がします。駅弁のホーム立売を許可しなかった新幹線。そのホームと車内こそが、今や駅弁が最もポピュラーに本来の駅弁として食べられる場所だというのも何かの因縁でしょうね。。。今こそサービスで、新幹線ホームの停車時間に駅弁立売を初登場させて欲しいくらいです。皮肉ではなく、本気で。

昔はガタンゴトンと揺られる車内でのんびりと食べた駅弁。それが今では矢のように走り去る景色の中、満員の車内で人目を気にしながら慌ただしく食べるものに変えられてしまいました。。。それこそが現代の駅弁スタイルであるというのは悲しいことですが、そこにしか駅弁の生き残る場所がないというのならば、私の知っていた「駅弁という旅愁の時代」は終わりを告げたと言うほかはありません。ですが、私は日本の「食文化」にまでなり得た「駅弁文化」を終わらせるつもりはありません。どんな形でもいいから、全国に残したいのです。エラそうですけど。。。

そのためには、すなわち「駅弁」を未来に残すためには、いっそのこと思い切って「駅から出る」という発想の転換が必要かと思います。その土地の名物となって、持ち帰っても食べたいと思えるような駅弁ができ、実際に持ち帰っても食べられる期限が可能になったとき、駅弁は初めて揺るぎない「名物」として土産物になることができるのです。駅弁大会を始め、空港や観光施設でも売られる富山駅の「ますのすし」や米子駅の「吾左衛門寿し」のように、賞味期限が長い「寿し」駅弁こそ、駅弁が将来的に「名産品」「土産駅弁」として生き残るための切り札の一つであると確信できます。したがってこれからの駅弁には、旅行客に売る際の「保存性」がキーワードとなるでしょう。ですがそれは保存料を使用せよということではないですよ、念のため。

また、駅弁屋として生き残るためには、旅行客相手ばかりにこだわるのではなく、地域の「町弁」としての顔を確立させておくことも大切です。仕出しはもちろんですが、家に持ち帰ってチンして食べるお弁当にも力を入れるとかね。多角経営なくして鉄道一本では生き残れないという今の時代をしっかりと読み取り、過去への郷愁で終わらせない姿勢が駅弁屋さんには今以上に必要ではないでしょうか。大丈夫、駅弁大会で成功したのですから、今度は通信販売の導入で販路を全国展開して欲しいものです。駅で待っているだけで客が来てくれた時代は、もうとっくに終わってしまっているのですから。。。

このサイトのポリシーというか、何というか… 

ところで、この1年間で13万近くものアクセスをしていただき、みなさんには感謝に堪えません。見て下さる方々がいらっしゃる限り、このサイトはこれからも走り続けていくしかないでしょう。もっともっと全国に、そして世界(現在60カ国以上から閲覧していただいています)にこのサイトの存在を知ってもらい、今まで以上に駅弁好き、駅弁文化ファンを増やす一翼を担っていきたいものです。

ただ、個人的なことで恐縮ですが、やりすぎには注意したいです。がんばりすぎて空回りし、周囲の方にご迷惑をかけることが私にはありますので。。。また、これからは駅弁だけが主目的の旅行は極力少なくしたいと思っています。確かに旅の中で駅弁はなくてはならない存在ですが、あくまでも「脇役」であると考えてきた30年間の私の姿勢を、今後とも貫きたいです。その意味ではこの1年間はホントに異常でしたね、我ながら反省しています。。。私自身が駅弁を楽しめなければ、このサイト運営の意味はないのですから・・・。

「駅弁レシピ」をご覧になればわかるように、私の家族は本当に私の駅弁趣味に協力的です。私はその好意に甘えて好きなコトしているというのが現状でしょうなあ。今のところは自分の仕事や家族を、犠牲にしてはいないと信じてはいますが、サイト開設以来毎日続けてきた更新などの「無理」は、きっと見えないところで家族や仕事に負担をかけているのではないかと思われます。ですからこれからは家庭や仕事の本分をわきまえ、趣味の世界には常にブレーキをかけて、駅弁にのめりこみすぎないように、それこそ食われてしまわないように、注意したいものです。

とは言うものの、この駅弁サイトのように、まだ「メジャー」という評価が今ひとつ得られない後発サイトの管理人である私には、駅弁をある程度食べては常に情報を発信していないと、すぐに飽きられてしまうかもしれない、という不安とプレッシャーがいつも背中合わせです。ただでさえ生存競争の激しいウェブの世界において、とりあえずメジャーになっておくことが存在意義の証しであるということもまた真実です。決してメジャーになって駅弁界に「権威」として君臨しようなどとは思いませんが、メジャーになることで、より広く駅弁の魅力の一端を、多くの方々に知ってもらうことができるとは信じています。となると、このサイトが広く定着するためにも、検索サイトでの位置取りは死活問題なのです。急に生臭い話になって恐縮ですが、ヤフージャパンさん、早く「メガネマーク」つけて上に移動させてくださいね、そうすれば私のサイト管理も少しは余裕を持ってできるようになるかなあと。。。オネガイシマス。

それと、メジャーになれないもう一つの理由として、駅弁リストの説明を意図的にあっさりとした客観的事実の記述にとどめている、ということが挙げられるかも知れませんね。駅弁の定価も書いていないし、実際にこのサイトを見て、駅弁を買いたいと思っておられる方にとっては、確かに不親切であり、不便でしょうね。でも、誠にすみませんが、このことだけは今後も変えるつもりはありません。この一点でメジャーになれないなら、あきらめもつくというほどのものなんです。

なぜ変えないか、それはこのサイトの性格が、駅弁の入門サイトではあっても、お役立ちサイトや評論サイトではないからです。私の気持ちとしては、この駅弁の紹介は私の規準で最低限度はするけれども、例えば「味」はみなさんでそれぞれ想像し、判断してくださいね、ということが大前提としてあるのです。私も一応は国語教師ですから、人並み以上には駅弁の説明を表現できるつもりです。しかし、だからといって個人的な見解で駅弁の出来に触れ、他の駅弁と比較した優劣や、特に欠点などの批評をウェブ上で大々的に論じることは、結果として客であるみなさんの購買意欲を低下させることになるので、決して駅弁屋さんの応援をしていることにはつながらないと思っているからです。また、みなさんに対しても、私の個人的な味覚や印象を押しつけたり、余計な能書きや屁理屈を私がたれることによって、みなさんが私の批評に左右されてしまい、その駅弁を純粋に想像する楽しみを奪うことになってしまう危険性があると考えているからなのです。私としては、このサイトにある駅弁画像は基本的に私のものではあるけれども、みなさんが想像することによって、みなさんの駅弁にもなりうる、だから、みなさん自身の思いで駅弁と向き合って欲しい、そして駅弁を好きになって欲しい、という期待をこめた想い、ポリシーでサイトを作っています。そういうことですので、どうしても情報が必要な方は他の駅弁サイトや駅弁の書籍をご参照下さい。この件についてはどうぞご了承下さいませ。

なお、他の駅弁サイトさんとは性格も役割も違うと思いますので、駅弁の未来のために、できれば「駅弁連合」のような形で協力しあって、いつか何かの機会に駅弁の魅力を世間にアピールできたらいいなあと個人的には考えています。まあしかしこれは相手のあることですから私としてはそう思っている、という表明だけにとどめておきます。先方や自分の負担にならない程度に今後も交流していければと思っています。現在、駅弁サイトは幾つかありますが、私にはそれぞれが非常に個性的で役割も異なっているように思われ、駅弁をいろんな角度や視点で扱っているところが、今のところすごくよいバランスを保っているように思います。


上ちゃん「浦島太郎」の結末は身勝手?

さて、最後にワタクシ上ちゃんですが、先述したように、1年前は駅弁に関しておよそ20年のブランクがあった「浦島太郎」でありました。掛け紙収集こそすべてじゃわい、などという、駅弁趣味に対しての変なこだわりもありました。でも、今は違います。この1年でいろいろと考え、結論的に、趣味人として駅弁を深く追究する道ではなく、サポーターとして駅弁を愛し広めようという道を選びとりました。

ですから上ちゃんの「浦島太郎」は「おとぎ話・浦島太郎」の結末とは違います。上ちゃんの「浦島太郎」は変わり果てた駅弁界を嘆き、郷愁の中に漂う「生きる屍」となる、というはじめのショボイ想いなんぞで終わるのではなく、現実の駅弁にたとえ不満であっても、それを受け入れようと思い直して、積極的に第2の「駅弁」応援人生を歩もうと考えて生きていく、という結末を期待したいんですよ。それはつまり、自分の趣味を楽しみながらも、時には個人の趣味を超え、駅弁を絶やさないための応援活動をしつつ、さらに一般の人たちの目を駅弁に向けさせるような駅弁ファンのリーダー的存在として、これからも楽しい「駅弁テーマパーク」サイト作りを目指して生きていくぞ〜、というシナリオなのです。。。

なんと大それたことを放言し、しかも自己満足? そう、そうかもしれないですけど、いいじゃないですか、ご覧の通りのワタシですから。。。独善的かも知れないですが確かに駅弁を愛し、自分をさらけ出してまで応援している、という気持ちがみなさんに伝わればそれでOKなんです。

さて、そうと決めた以上、そのためには何はともあれ、駅弁を応援したいという私の考えに少しでも賛同して下さるみなさんのパワーを、これからもお借りしてゆきたいのです。もちろん駅弁屋さんもですよ。万が一私のパワーが消えてしまいそうな時でも、掲示板等でこのサイトを盛り上げ、励ましていただければうれしいです。みなさんの声には今まで通りなるべく早く反応し、みなさんと一緒に作り上げるサイトをこれからも目指していきます。もちろんご要望等、どしどしお寄せ下さいね。駅弁情報や画像のご提供もお待ちしています。これからも一緒に楽しくやりましょう。

今後とも「駅弁の小窓」と「上ちゃん」を宜しくお願いいたします。最後まで本当に身勝手な文章を読んでいただき、どうもありがとうございました。


                                               2004年9月16日 上ちゃん
  

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