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  さらにこの旅を続ける



そうこうしているうちに、阿賀野川の谷をつんざく「ボォォォォォォ」という汽笛がしました。音は曲がりくねった谷にこだまして大きく大きく、天にも地にも響き渡り、辺りの空気を振動させて私の腹の底にも伝わってくるほどでした。SLは平野よりも海辺よりも谷が似合うなあ、とそう思いました。

到着後、やはり「とりめし」は瞬殺でした。ドアが開くなり、売店に向けてダッシュしていく姿が何人も確認できました。

しかし驚いたのは、2号車前方付近で売られていたのに、私が乗った6号車でもひとり買えたことです。そのお父さんは息をはあはあさせて「最後の1個だった」と自慢げに家族に語っていました。ハウステンボスのシャツを着て、いかにも旅行好き。このお父さん、「ばんえつ」のピンバッチもゲット、ラッキーな方です。

私の席は小学生3人に占領され、空いていた向かいのボックスに、今度は私がひとり占め。こいつら窓を開けまくるので煙が。。。32年前、室蘭本線(やはりC57)での自分を見ているようでした(^^;)。



  


上こそはこの日にホームで売られた「朝陽館のとりめし」合計6本です。

この「とりめし」は、しっとりとした鶏そぼろと裏ごしされた玉子そぼろが茶めしの上で青海苔と梅干しに整然と仕切られています。容器はさほど大きくないので、あっという間に完食してしまいました。

薄味のごはんに甘めのそぼろがよく合います。これが一度は駅弁販売をやめ、1999年に復活を果たした幻の駅弁なんだなあと思うと感動しました。もちろん24年前に友達と食べたときの味などはとうに忘れてしまっていたのですが、それでも素朴でどこか懐かしい味は旅行者の心を確実につかむのだろうと確信しました。

量は少なめなので、本当はもう1つ買おうかと一瞬は思ったのですが、やっぱりやめました。この感動を一人でも多くの人に味わわせてあげたいなあと心からそう思いました。
左は新潟駅で出発を待つ「SLばんえつ物語号」。C58180号機が旧型12系客車7両を牽引し、会津若松まで4時間かけて走ります。

今回の旅ではこの列車に乗ることが目的の1つですが、私は1本前の前の気動車で先発し、先に日出谷駅前の朝陽館にいきました。なぜならここで調製する「とりめし」は、このSLが走る日に限って20本しか作らないのですから。しかも、ホームでの予約受け渡しは一切できません。レア駅弁なのです。

実際、事前予約したと思われる新潟ナンバーの車が11時頃になると続々店の前へとやってきて、あっという間に合計13本が売れ、ホームで私が1番乗りに1本買いましたから、「ばんえつ」が到着した時にはたったの6本しかなかったのです。

さっそくホームのベンチで掛け紙をはずし、両手をあわせた後でいただきます。

南東北
駅弁行脚
その4


左は1981年3月13日購入。 

友達のT.I君と日中線を乗りに来た途中、不意にホームで立ち売りからこの駅弁を買いました。そしてこの後で念願の日中線を乗りつぶしたのです。その友達は大学卒業後に就職し、今はもう10年以上もドイツにいて、欧州のSLを追っかけています。
そして約4半世紀が経過した2005年9月18日、再び私はこの駅のホームに降り立ちました。この路線には友達T.I君の大好きなSLが復活していました。