このパンフレットは1ページ縦19p×横9pの表裏12ページで、広げると19p×54pの1枚となります。新潟・東京以西の鉄道路線略図に駅弁販売駅とそこで売られている駅弁名や食堂名、調製元名が記載され、空白部には東海道線での食堂車案内、東海道線〜山陽線〜九州幹線での食堂車案内が列車名、業者名とともに記載されていす。
昭和58年当時の駅弁

※このページは、昭和32年頃に配布されたと思われる「駅弁当のごあんない」(社団法人国鉄構内営業中央会)パンフレットをデジカメ画像に撮り直し、転載して紹介させていただいています。現在より約50年ほど前となる1957年当時の駅弁販売状況(新潟・東京以西)や食堂車営業案内を眺め、しばしノスタルジックな気分に浸っていただければ幸いです。なお、このパンフレットは経年による痛みにより、インクがかなりかすれてしまっており、読みにくいことをご了承願います。(社団法人日本鉄道構内営業中央会承認済み)


[はじめに]

このパンフレットには発行年月日が書かれていません。なぜ昭和32年頃としたか、その根拠を以下に示します。

@地図に記載された駅名を見ると、昭和32年4月に「出雲市」駅と改称する前の「出雲今市」駅があり、かつ、昭和29年12月に「備後十日市」駅から改称された「三次」駅がありましたので、このパンフレットは昭和29年12月〜昭和32年4月の間に発行されたものと考えました。

A食堂車のある列車の案内を見ると、昭和32年7月に登場した「さちかぜ」の列車名があります。(ちなみに「さちかぜ」は「あさかぜ」と混同しやすいことから、昭和34年7月に「さくら」と改称されました。)ゆえに、このパンフレットは昭和32年7月〜34年7月の間に発行されたと考えられ、@の推測範囲と矛盾してしまいました。

B矛盾への解決策として、このパンフレットには昭和31年11月に食堂車付きで登場し、昭和33年からは20系客車に換わった「あさかぜ」の列車名がありました。昭和31年、東海道線の全線電化と外食券制度廃止による旅行の拡大、駅弁販売の自由化を背景として、全国的に食堂車、駅弁の需要が増えたと思われます。したがって、それらを案内する必要に迫られ、このパンフレットが発行されたのでしょう。おそらく昭和32年、「さちかぜ」などの登場に間に合うように前もって発注し、ちょうど同じ頃になされた「出雲市」駅の改称が反映されないまま完成した、と見なすのが妥当かと思われます。


        

※まず、3ページずつの全体図です。画面の関係で小さくしてありますので見にくいですが、細かいところは後ほど下をご覧ください。



    ↑(おもて面)新潟・東京〜大聖寺・飛騨金山・豊橋



    ↑大聖寺・飛騨金山・豊橋〜大阪



    ↑(うら面)米原・亀山・山田〜出雲今市・呉・伊予西条



    ↑出雲今市・呉・伊予西条・大杉〜長崎・三角・川内

※ここからはもう少し細かく見ていきます。まずは(おもて面)から。



↑新潟駅「田中屋」、西吉田駅「東屋」、柏崎駅「天京」。。。どんな駅弁だったのでしょう。



↑五反田駅に日本食堂の駅食堂、御徒町駅と秋葉原駅にミルクスタンド。「浅川」駅は昭和36年「高尾」駅に。



↑平塚駅で今も立ち食いそばを営む香魚軒でサンドウイチ(響きが新鮮!)販売。サンドウイチ、多いですね。



↑高岡駅には3業者。富山はホテルの時代。津幡、大聖寺にも駅弁。松本には日本食堂の駅食堂。



↑高野商店は今庄で駅弁販売の時代。飛騨金山、小浜、2業者あった大垣も今では夢の跡。



↑関西線は亀山を除いて今はほぼ全滅。「なにわ号」は新大阪ホテルが食堂車に。「松坂」駅は誤植。

※続いて(うら面)です。インクがかすれており、判読しにくいことを予めご了承くださいませ。



↑三田、生野、明石、加古川、上郡、和気、津山、上井(倉吉)。。。ここも今ではずいぶん消えました。



↑昭和34年に全通する紀勢本線は未開通。今では山田(伊勢市)、奈良、天王寺の駅弁までもが消えました。



↑多度津、伊予西条、阿波橘、川田、そして阿波池田。。。四国にも駅弁全盛期はあったのでしょう。



↑「かもめ号」の食堂車が都ホテルである以外、「つくし号」、「さつま号」など、すべて日本食堂でした。



↑現在と駅名が違うのがいくつか。正明市(長門市)、三田尻(防府)。。。岩国も昭和17年まで「麻里布」でした。



↑門司港駅には「みかど食堂」があり、駅弁も販売。下関や門司には日本食堂の駅食堂。



↑東唐津、諫早、武雄(常盤軒)、豊後竹田も今はなし。長崎には日本食堂の駅食堂があり、駅弁はなし。



↑九州ではこの時代、「かしわめし」とは呼んでないのでしょうか? それとも東京、大阪向けに作られたパンフだからどの駅も「とりめし」なのでしょうか?


※敗戦10年後まで続いた国内食事情の悪さから立ち直りを告げる「外食券制度」の廃止、日本の大動脈である東海道線の全線電化によって、このパンフレットには、これから始まる日本の高度経済成長時代、旅行時代の幕開け的な雰囲気が良く現れているように私は感じました。今では廃業してしまっている駅弁屋さんの紹介、また、今はなき駅食堂や列車食堂の案内なども、オールド駅弁ファン、列車食堂ファンの郷愁を誘う内容としては十分だったと思います。この資料が多くの方のお役に立てれば幸いです。

※本当に読みづらくて申し訳ございません。判読しにくい箇所をお知りになりたい方はメールにてお願いします。私の目で判読できる範囲にて回答いたします。


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