2004年3月27、8日の土日、念願の急行『白兎』に乗ってきました。
 
   

思えば、私の大学時代の友人から第一報が入ったのは2月12日。その日のうちに鳥取駅みどりの窓口で予約を入れてから約1ヶ月半、どんなに待ち続けたことか。
運行1ヶ月前の発売開始日2月27日、「すみません、確保できませんでした。キャンセル待ちしますか?」の旨の電話を受けてから、2,3日の間隔を置いては仕事終わりに駅に通う日々。「キャンセル出ました?」「いやぁ出ていないです。実はあなたを筆頭に3組あるんですが、発売開始日全滅でして、みなさんキャンセル待ちなんですよ。」「(T▽T)」んなアホな…。

こんな状況が前日まで続き、しびれを切らした儂は禁断の世界(決して“人間やめた”ことではありません。たぶん解る人は解るあのヤフオクの世界です。)に首を突っ込むが落ちる際の金額が元値の10倍いく有様に精神疲労倍増。こうして心身共にボロボロになって、奇跡以外にはあり得ない当日キャンセル待ちだけ頼りに、無理矢理大阪へ夜行バスで乗りつける。すぐさま難波から梅田に移動し、開いたばかりの大阪駅みどりの窓口で当日キャンセルをお願いすると…1つ出たんです!窓側だけど他の方との相席で逆行。でもいいんです。これで出て来た甲斐はありました。親曰く、幼少の頃に名古屋から帰省の際に何回か乗った、思い出(いい思い出とは限らないが)の汽車に…。


3月27日早朝、その日私は大阪にいた。奇跡の当日キャンセルのおかげで『白兎』のきっぷがとれ、半分以上ぬけがら状態。そんな本体に、223系快速電車米原行の窓からぴーかんの空がやさしく微笑む。

♪新しい朝が来た 希望の朝が よろこびに胸を開け 大空仰げ…♪

ラジオ体操の歌が頭をよぎる。そう、これから少し特別な旅が始まるんだ。いつもみたいに乗り換える必要の無い、ちょっぴり贅沢な旅…。

京都駅に着いて、まずは乗車券購入のために一旦改札外へ。大阪駅から京都駅へは『ICOCA』を使ったのだが、田舎者には不思議な感覚。カードをポンと機械に触れただけでゲートが開く…。きっぷや『Jスルー』のようなぶち込みカードの挿入でゲートが開く、自動改札機に初めて遭遇したときより驚きが!

京都〜米子(経由:山陰)のきっぷで再び改札を抜け、山陰線の30番台切り抜きホームへ。手前のJR系の駅弁屋さんから記念駅弁を大量入荷(当日にきっぷがとれたので、途中停車駅の駅弁屋さんに予約を入れておず、乗車時間が長いため、朝と昼と夕方の分。もちろん掛紙も。)し、いざ旅路へ!

『白兎』は発車17分前にいそいそと32番線に入線。最初で最後のリニューアル京都駅山陰線ホームでのキハ28・58系急行形気動車を一目見ようとすごい人だかり。上野駅のリバイバルトレインのように怒号飛び交うトラブルが無くて本当によかった…。

9時8分、いろんな人に送られて『白兎』は昔通った山陰路へ…。昔の山陰線である嵯峨野観光鉄道線を通らなかったのは少し残念だったが、京都口,福知山口の普通電車を横目に疾走する老紳士は、米子の西日本最大規模老人ホームからの2日間外出許可というプレゼントを満喫しているかのようだった。

私は、横浜から来た御孫さんと米子に旅行するという大阪在住の老人と、金沢からはるばる『サンダーバード』でやってきて汽車旅を満喫しにやってきた21歳の社会人の若者と相席。若者はたった1日の休み故福知山までの乗車で、また金沢へとんぼ帰りしてしまったが、いろんなジャンルの話ができて楽しかった。

そして福知山からも、残った3人で車窓眺めながら駅弁を食らいおしゃべりをし、計7時間47分に及ぶ長い旅路が、ほんの3時間程に思えた有意義な旅だった。


大山です。きれいです。


きっきっ奇跡ぢゃぁ〜!取れた、『白兎』のきっぷが取れたぁ〜(T_T)→(ToT)粘りに粘った甲斐があった。神さんが年に3度のツキをもたらしたぁ〜。バンザ〜イ、バンザ〜イ、バンザ〜イ\(ToT)/



最後の急行形気動車グリーン車キロハ28。まだスクラップになってません。ひとまずホッ(-.-)あの2両、保存して欲しいものです。



車両展示会にて。キハ58・28系急行『白兎』

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急行「白兎」リバイバル乗車・旅行記奮闘記