満州駅スタンプの説明           〜新潟県在住の貨車さんより〜

「湯膏子」「五龍背」・・・はこれに「熊岳城」を加え「満州三大温泉」といわれました。とくに「湯膏子」には真贋わかりませんが唐の太宋が高句麗討伐のとき療養した、清の名君、乾隆帝もきた、とあります。ここには「対翠閣」という高級旅館があったのですが、昭和6年関東軍が、溥儀を天津の日本租界「静園」から脱出させ、大連からこの「対翠閣」に「監禁」して新京に「執政」としてむかわせるのですが、このときのちの作家島田一男が(当時満州日報記者)、大連の「沙河口」(満鉄のバカでかい東洋一の鉄道工場があり、満鉄、鮮鉄、華北交通、その他の鉄道の車輌製造、修理、メンテナンスを一手にひきうけていた)から溥儀ののる三等にのりこみインタビューしようとねらっていました。そののち「対翠閣」までおしかけ、このとき甘粕雅彦と知り合いに。ほかに「玉泉館」「清林館」「龍泉別館」があり、すべて「湯膏子温泉梶vのものでした。普通の浴槽と泥湯がありました。ほかの「熊岳城」は砂湯、「五龍背」は泥湯。このほかに満州国鉄・白温線の終点「温泉」ことハロン・アルシャンも有名でした。

「首山」・・・日露戦争・遼陽攻撃作戦の根拠地。軍神・橘中佐戦死の地、橘山戦跡碑を望む。

大連」・・・「大広場」かと。ヤマトホテル前に広がるロータリーで、真ん中に初代関東都督・大島義昌中将の銅像が。ロシアによって区画整理されたためロータリーが多い町です。」

「公主嶺」・・・デザインはひつじと農事試験場です。南北満州の分水嶺で、南にいく遼河は渤海に注ぎ、北は松花江から黒龍江を経て、日本海へ。農事試験場はやはり「満鉄」の直営。馬、牛、羊、豚の品種改良が主な仕事。

「四平街」・・まえにもでた「四平」駅(現在)。満州国鉄・平濱線分岐駅でいわゆる「鉄道のまち」。平濱線はここからチチハルへ。平は四平街、賓は斎斎蛤る(チチハル)のことだそうですが・・・。新興の駅なんですがそれでも特急「あじあ」と急行「はと」が停車した街です。

「チチハル」・・・ふつうの満州旅行客は大連に上陸し近代港に驚かされ、満州の赤い夕日と満鉄のスケールのデカさ、「あじあ」の素晴らしさ、奉天のにぎわい、新京の近代的施設、ハルピンの日露中の入り混じった「東洋のパリ」(これは上海にもついていたが)「東洋のモスクワ」に眼を見張り、堪能して、帰りました。したがってチチハルまでくる人間はほとんどいなかったそうです。見ものも北満髄一の大きさのチチハル駅(内部に鉄道ホテル)とスイス人宣教師の立てた教会、くらい。しかしかつてイタリアから長躯このチチハルまで無着陸飛行が行われた事実も。

満鉄「大石橋」。・・・輪郭は「満州娘」で幌馬車。同駅は「あじあ」のとまる大きな駅です。そのうえ、営口でとれる「はまぐり」をホームでうっていました。有名な満州の「娘々祭」がおこなわれるのもこの地なのです。そして満鉄・営口線分岐。ここの付近にはマグネサイトとタルクの産地がありました。

満鉄「周水子」。・・・満鉄警戒犬を輪郭とし、飛行機。連京線からの旅順線分岐点。ここには大連の空港があり、関東軍や大日本航空、満州航空が着陸していました。ここでは「満鉄警戒犬」を養成していました。(満鉄は国民党や共産党のゲリラ、馬賊にしょっちゅう破壊、脱線させられた)。この地には満州唯一のセメント工場「小野田セメント」の巨大工場がありました。この工場は明治43年(1910)の伊藤博文の満州訪問時(そしてハルピンで暗殺)、伊藤が視察しています。(それだけ重要だった)

旅順駅。・・・日露戦争ニ○三高地を影絵に白玉山表忠塔を配す。

遼陽駅。・・・奉天省最古の古都でスタンプの塔は金代か漢代の健立の広佑寺の遺跡にあります。
八角十三層の瓦製。満州叙情をそそう。

沙河口。・・・まえに満鉄巨大工場を書きましたが、ちかくには絶景の星が浦があり満鉄ヤマトホテルの夏季専用ホテル(上高地帝国ホテルのような)があり、そして大競馬場もありました。

夏家河子。・・・大連のすぐ近くにあり、渤海に面しています。「かかかし」と読むそうです。戦前、干潮時には廃船が姿を現したそうです。(※終戦まで牡丹江に住んでいた照爺さんからのご指摘で上ちゃんが一部修正加筆しました)

渾河駅。・・・「こんこう」「こんが」と読みます。撫順線への乗換駅。付近に沼地多く、絶好の釣魚地としてしられたそうです。駅名となっている渾河は満州南部を流れる大河「遼河」最大の支流です。(※終戦まで牡丹江に住んでいた照爺さんからのご指摘で上ちゃんが一部修正加筆しました)

蘇家屯。・・・かの有名な奉天郊外の大機関区の近くの駅です。この機関区はつい最近整備され「蒸気機関車館」として落成。美しい姿によみがえったパシナや流線型で「はと」を牽引した「パシハ」(周恩来などの中国共産党最高指導部の専用列車牽引任務につく事も多かった。「周恩来総理専用車」はかつての急行「大陸」の一等寝台車で、現在美しく整備され、北京で保存)もいます。スタンプの「のりかえ」は朝鮮に向かう安奉線の乗換駅をさします。


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