2006年1月、はやしさんが新得駅弁の新得待合所さんを訪れました。以下はそのコメント。
「駅前の店舗は同じ位置ですが、経営者の方が変わって現在は、お食事処<暖笑>となっています。」
「かつての名物駅弁<やまべ寿司>は持ち帰りで作って貰えます。中身ですが、これは生の方で、酢で締めたモノもあります。酢締めは夏季は置いてあるのですが、冬季は2週間前に予約を受けてから酢に漬けるそうです。下は掛紙です。 」
「経営は変わりましたが味はそのまま引き継がれているそうです。駅売り時代の方が調製を次世代に引き継いでいるそうです。11時から21時迄で不定休だそうです。」お食事処暖笑0156-64-6039。」
下は2007年8月8日、砂丘の白兎さんが新得駅で購入した「かけそば」。
「夕飯にするために入手。時間が無かったので、使い捨て発泡容器使用のお持ち帰りヴァージョンで。西日本の人間には、濃い出汁だったけど、独特の風味。下はホームから見た、駅蕎麦屋「せきぐち」さんの全景。」
下の「御寿し」は昭和初期か。狩勝平野を縫うようにして走るSLでしょうか。新得待合所が「やまべ寿司」を売り出すずっと前の掛け紙です。
貨車さんより次のコメントをいただきました。
「ところでこの根室本線狩勝峠は中央本線「姥捨」、鹿児島本線「大畑」と並ぶ三大車窓の一つでした。しかしあまりにもけわしく、ここを通る貨物、旅客は「D51」「9600」を補機にして急勾配を越えました。往時は新得機関区がありました。しかし昭和26年函館-札幌-旭川-釧路-根室の急行「まりも」が脱線する、ということが。37年にはキハ80系特急「おおぞら」キハ56系急行「狩勝」が旧線経由で運転開始。しかしついに39年新線に切り替えられてしまいます。そののち新得-新内が「国鉄狩勝実験線」として使用。当時多発していた貨車の「競合脱線」のため、ワザと貨車+測定車を暴走させて、貨車を脱線させてデータをとります。この実験で、有蓋車、無蓋車、タンク車、石炭車、コンテナ車などが「尊い犠牲」に。最初はD51が試験列車を牽引、のちDE10、ディーゼル機関車に。よく見る青地に黄色線の「試験車輌」と、「被験車輌」を中腹まで機関車が牽引、そこで連結器を切る、すると勾配を被験貨車+試験車が下っていきます。それをビデオで撮影する。また本州から電気機関車が航送されてきて試験したり、のちの「瀬戸大橋線」の「たわみ実験」も行われていました。」
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