昭和16年3月28日。

日付印や駅スタンプの日付からしても、同じ日に會寧駅と羅南駅で食べた駅弁でしょう。
會寧(現在のフェリョン)は北朝鮮北部、トマン川を挟んで中国との国境の町で、ロシア国境まで100qもないところに位置しています。駅スタンプで見る限り、材木や畜産、陶磁器で有名な町だったのでしょうか。そこから約50q南下して、日本海に面した清津(チョンジン)に寄り添うような町、羅南(ラナム)の駅まで来たのでしょうね。ここの駅弁は列車食堂や駅食堂で有名な「みかど食堂」の調製。標高2541メートルの冠帽(クァンモ)峰か2744メートルの白頭(ペクト)山とおぼしき山が描かれた掛け紙を使用しています。胡桃からとるという滋養飲料の「ツルチュク」飲料水や飴が宣伝されており、この地方の特産物だったことを印象づけています。

貨車さんよりコメントをいただきました。以下に記します。
羅南は北部朝鮮を代表する軍都でした。丘に囲まれている地形で東だけ開けています。19師団司令部、歩兵38旅団司令部のほか歩兵、騎兵、野砲兵連帯の基地がおかれていました。威鏡北道庁以下諸行政機関、各学校。駅スタンプには帝國陸軍の星とツルチュクのビンが配置されていました。1919年12月10日開業。
会寧も軍にとって重要な都市で舞台の駐屯基地がありました。もうすぐソ満との国境に近く、北上すると北鮮線、上三峰で満州国と接します。駅のプラットホームには仏閣の塔がありました。木材のほか、会寧からは会寧炭鉱への支線が分岐していて、重要拠点だったようです。またこの威鏡本線、図門線、会寧炭鉱線などは「局外線」という朝鮮総督府鉄道局とは管轄の異なる区間でした。(さらに満鉄北鮮線が加わります)
「局外線」は満鉄の管轄だったようで、清津のとなり輪城で朝鮮総督府鉄道局線とつながっていました。



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