左下は大正9年7月15日午前11時調製の「御辨當」。40銭。おそらく駅弁の調製印としては日本最古の部類に属するものかと思われます。その意味では大変貴重な掛け紙です。右下は「30日午前10時」しか書かれていませんが、大正後期から昭和の初め頃のものと推測されます。
下は「朝食」と書かれたスタンプが押されています。これも珍しく、大正時代と考えるのが妥当でしょう。
下の「御辨當」は並等弁当で15銭という価格からして、明治31年〜大正3年くらいまでに発売されたものである可能性が高いです。すでに1900(明治33)年には東京〜神戸の長距離電話が開通していましたので、萩の家が電話を所有していることはつじつまが合います。下に「桃山御陵 関西線桃山駅より十丁」とあり、ここでいう関西線とは関西鉄道のこと。明治38年に奈良鉄道から名称を変更しました。明治40年には国有化され、明治42年には奈良線と名称変更しましたので、この「御辨當」は明治38年から42年に販売されたもの、つまり明治末期と特定できます。
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