大正8年頃〜昭和初期。
「南茶寮」というのはおそらく「南洋軒」の前身です。電話番号が同じなのがその根拠です。「南茶店」というのはさらにその前身であろうと思われます。左の掛け紙には琵琶湖を背に走る蒸気機関車の姿がイラストされています。また、一番右は石山寺が描かれています。縦長の掛け紙も珍しいと思います。


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