昭和初期か。
当時は釜山の北部にある大都市の大邱から軽便鉄道に乗り換えて50qほど約4時間、東に行くと、そこは新羅一千年の城邑地である慶州でした。今でも古都として観光地となっています。
軽便鉄道ということは、これは戦前私鉄の駅弁掛け紙ということになりそうです。


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以下は貨車さんからのコメントです。

辺日湾の南方、東に明活山、西に西岳、そして北にはるか金剛山を望む朝鮮の古都・・。
この駅が所属していたのは東海(日本海の韓国名)縦貫線の一部「東海中部線」。東海縦貫線は慶州から襄陽を経て、元山、威興につながる「裏ルート」。しかし未完に終わりさらに分断され、すでに元の山野に戻ってしまった区間すらあるとのことです。新羅の歴代王陵や名刹、古刹が多く、かつて新羅の首都だったことを物語るものも多いとか。いまも日本時代の駅舎が使用され、旧慶州機関区も残ります。
駆け紙の右下の慶と州のあいだ、2つ目は新羅の天文台だそうです。ほかに月城、石氷庫、雁明池、鮑石亭など。そして歴史上貴重な仏国寺が11キロ郊外に。