樺太の駅弁(鉄道省樺太鉄道局)

1930年〜45年までの15年間に発売された戦前統治下の樺太駅弁です。

下は間宮海峡に面した南樺太西海岸中部に位置する、当時人口7000人あまりの野田町内にあった樺太西線・野田駅で販売されていた「御辨當」35銭。針葉樹の木々とSL、崎と海鳥がノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。しかし、「山火注意」という真っ赤なスタンプが、乾燥した北の陸地を思わせます。樺太西線野田駅は北(下り久春内方面)、南(上り真岡方面)に1日各4本の列車が運行されていたようです。掛け紙の右上に南樺太の地図。野田駅は掛け紙で言えば「御」と「辨」の間、この島が一番くびれた部分より少し下の左側海岸部に位置していました。

   

下は昭和13年8月10日、小能登呂名物であったとされる小能登呂駅の「桃太郎だんご」15銭。小能登呂(このとろ)駅は野田駅よりも南に位置し間宮海峡に面した、当時人口が3000人あまりの樺太真岡郡小能登呂村にあった樺太西線の駅です。遠く本土の岡山に伝わる桃太郎伝説に因んだ団子が樺太で売られていたとは、旅行者もビックリしたでしょう。もしかすると岡山の人が樺太小能登呂地区に入植したのかも知れません。

   

下は当時の人口で1700人あまり、帆寄村にある樺太東線・馬群潭駅で販売していた「櫻まんじゆう」です。帆寄村は樺太の東側であるオホーツク海に面した敷香(シスカ)庁南部、樺太の一番くびれた部分の東海岸に位置します。樺太の秀峰と言われる突祖(とっそ)山、馬群潭(まぐんたん)桜山や泥火山など、帆寄村の周囲は自然に恵まれていたそうです。掛け紙には櫻山や泥火山が描かれ、馬群潭駅前にあるこの饅頭の調製元・山下待合所の写真まで印刷されています。鮭鱒人工孵化場も付近にあったようですね。

   

下は馬群潭駅よりもさらに東の樺太東線・知取(しるとり・しりとり)駅で売られていた「御弁當」35銭。2000年の京王駅弁大会に「廃線駅弁」として復活した駅弁。掛け紙は戦前のカラーコピーだそうです。

当初は全国樺太連盟を通じて豊原駅の駅弁を復活させようという話だったが、知取駅の駅弁が懐かしいという声があがり、変更することに。当時、知取には富士製紙(現王子製紙)の工場があり、経済的にも発展しようとしていた駅だそうです。知取川の上流には温泉もあり、憩いの地だったとか。調製元「やまもと」の娘さんからレシピを手に入れ、再現したとのこと。

           

二段重ねで、一段目は白いご飯のみ。樺太で貴重だった梅干しはなし。二段目はおかずで、メインが樺太マスの塩焼き、かまぼこ、厚焼き玉子、イカの松笠焼き、野菜の煮物、たくあん。素材を生かした素朴なお弁当だったとか。


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