昭和初期か。価格からすると大正末期もありうるかなという気はします。のどかな風景と言っても良いのでしょうか。突堤の建物が何なのか気になるところではあります。
2009年4月16日、浜田ご出身の「ひょうたんつぎ」さんから以下のメールをいただきました。ご教示ありがとうございました。感謝いたしております。
「駅弁の掛け紙のホームページを楽しく拝見しました。私は、島根県浜田市出身の者ですから、浜田の古い駅弁の掛け紙を見させて頂きました。戦前の「ピリ軒」の「御壽司」の掛け紙に描いてある港の風景について、 突堤の建物が何なのか気になる と書いていらっしゃいますね。 あの建物は、漁港の魚市場の建物です。(中は柱だけの吹き抜けになっていました)・・・中略・・・戦後だんだんに埋立・防波堤新設・新橋建設等で漁港が拡大充実して昔とは様変わりしています。終戦直後に大火事があり、ピリ軒さんは、駅前から牛市に替わられましたね。」
なお、上の風景とほぼ同じ時代の画像を以下のページで見ることができるそうです。ひょうたんつぎさん、教えてくださり、どうもありがとうございました。
昭和18年2月14日浜田港発「徴用底曳漁船団と漁師達の行方」こちら。
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