もう少し大きい画像を載せておきます。別の掛け紙と重ねて保存していたのか、少し残像が浮き出ています。



2008年11月2日に以下のお便りをいただきましたのでご本人様に了承済みにて転載させていただきます。

感動しました。 黒瀬泰志

奇跡的に上ちゃん様の「駅弁の小窓」と出会いました。
私の生まれ故郷「恵比島」で検索をしていたところ 戦前の掛け紙・赤色の紙に御赤飯の文字コメントには大正後期・・・・。お持ちでいてくださったことに感謝します。
大黒屋 ○セとは私の実家で この駅弁は私の曾祖父(筆之丞・ふでのじょう)祖父(晴一郎)が四国から北海道に渡り 言葉に出来ない苦労の末作り上げたものです。86歳の父に確認したところ感激ししばらく言葉にならなかったようです。筆之丞は大正11年12月に亡くなっていますので晴一郎が受け継いで作成したものと思います。父の話だと実家は昭和に入り火災にあい当時のものは何も残っていないとの事。私も見たことがありませんでした。私たちは札幌から北への鉄道工事に沿うように野幌で習得した「煉瓦もち」などを工夫売りながら恵比島に根をおろしました。NHK「すずらん」の中村屋は私の生家です。昭和20年代前半までは炭鉱の景気で家業の旅館も大変繁盛したようですが32年生まれの私には月に2〜3人のお客さんの来る田舎の旅館の記憶しかありません。現在は縁がありまして岩手県盛岡市で暮らしております。生家は「すずらん」後 沼田町へ売却しました。資料館となっているそうです。
 長々とメールしてしまい申し訳ございません・・・。
我が家の家宝を大事に保管されていたことに感謝いたします。本当にありがとうございました。
 掛け紙画像を仏壇の中の曾じいちゃん&じいちゃんに見せてまいります。

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恵比島駅と言えば北海道の小さな駅を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説のロケ地「明日萌(恵比島)」をすぐに思い浮かべますが、その当時よりももっと歴史をさかのぼった大正時代の駅弁掛け紙です。

広告の「大學目薬」は参天製薬(当時は「参天堂」)が明治32(1899)年に発売したヒット商品の目薬で、現在でもあります。この参天製薬は大正14年に株式会社に移行しますので、それ以前の掛け紙かも知れません。