名寄市北国博物館に1993年6月展示されたSL「キマロキ」編成排雪列車を記念して作られたウニの弁当です。
以下は貨車さんからのコメントです。
名寄の「キマロキ編成」。「キマロキ編成」といっても「マ」と「ロ」の間に連結はなく、しかも「キマ」(だいたいD51か9600とマックレー)が通過したあと「ロキ(ヨ)」(ロータリー「キ620」+9600か、D51そしてヨ3500)が通過。
またかつて越美北線では「ラキキマロキヤヨ」編成がでた、といいます。「ラ」=ラッセル、ヤは「職用車」で、作業員を「回収」し、「宿泊」させる。もうほとんど装甲列車に近かったようで。国鉄も「決死隊」として送りだしたそうですが、前のラッセルがイカれて、しかたなくきりはなして、福井方面に撤退させられた、とか。
かつて上越にあった 頚城鉄道(つい最近兵庫県内に保存されていた車輌たち(中にはファン垂涎の「ホジ8」とか)が何十年かぶりに日の目を見て、保存が決定した。)ではラッセルの「ラキ1」(ま、ここまでは他の私鉄にもある)そしてロータリーの「ロキ1」がありました。「ロキ1」は有蓋車を改造し、内部にキャデラックV8エンジンを搭載しものすごい高性能を発揮し開発者が社長から「金一封」もらったという「伝説」があります。戦後は日産ディーゼルに換装されました。この豪雪地帯では当然ですが。「ラキ1」は頚城の3両のディーゼル機関車が三重連で推進するシーンの写真ものこっています。(総括制御なし。そのためすべてに機関士乗車)昭和38年の「サンパチ豪雪」では上越・信越がやられ、「とき」「佐渡」「越路」、また普通や貨物が何本も運休。このときは臨時の「排雪列車」が。D51などが無蓋貨車を引き、川の上で停止し、貨車の雪を川に捨てるものでした。また自衛隊がガスバーナーで雪を溶かそうともしたり。かつてあの函館本線ではラッセルの「キ100」(北海道には「鉄仮面」「パラボラ」といわれた変形「キ273」もいました。
http://shimpei.3.pro.tok2.com/0001/21_jnr-laboratory/jnr/jnr002_ki273.htm )を9600、D51のほかにあのC62がときどき推してたとか・・・・。DE15、DD14がでてきたのちもマックレーやキ100をDD51やDD13、DE10が力強くこれら「黒い除雪(貨)車」を推すシーンの写真ものこっています。
「キマロキ編成」はまずキ100型ラッセル車がSL・DLに推進されて雪を撥ね退けます。しかしそうすると、両側に雪の壁ができ、これが陽光で崩れてくる危険
があります。このためマックレーで雪壁を破砕、国鉄最強のロータリー「キ620」(その前の「キ600」を米国から2両輸入、北海道と新潟・直江津に配置。発展型「キ620」はC11のボイラー搭載のものすごいメカで、(だから炭水車が)一両は樺太鉄道局に配置され、つい数年前まで確認されています)アメリカではデンバー&リオグランデ鉄道ではファンのためにこのロータリーをSLを推して走るイヴェントもやっているのです。
下は砂丘の白兎さんが所有する「SL塩狩峠号運行記念うにめし」。
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