1989(平成元)年11月5日、中部天竜駅前のイベントで購入の「猪弁当」、「松茸弁当」。
当時、私は飯田線中部天竜駅のすぐ裏に住んでいました。佐久間町は発電量が日本一の佐久間ダムができた頃、つまり1956年頃には人口が3万人近くまでふくれ上がり、大変なにぎわいだったそうです。しかし、そこから過疎化の波が・・・。私が赴任していた5年間でも人口は8000人から7000人というふうに、1000人近く減っていました。

       

まあ、そんなわけで村おこしのためにいろいろなイベントが催されました。上の弁当は、そんなイベントの中、中部天竜駅前で売られていたものです。もちろん、駅弁ではありません。その後、佐久間町の働きかけが功を奏したのか、2年後には佐久間レールパークが開館しました。それを記念して駅弁を売ってくれたらもっと良かったのになあ・・・。

       

[ここから下は2009年9月に加筆しています]

。。。ということだったのですが、皮肉にも18年間頑張ってきた佐久間レールパークが2009年11月1日に閉園することになり、半年間ではありますが、記念弁当を売ることになりました。中部天竜駅の佐久間レールパークでも土日祝日に売られました。佐久間に念願の駅弁が誕生したのです(複雑な涙)。

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