2008年5月17日、三島駅で購入した「文士の玉手箱(若山牧水バージョン)」。2007年4月21日に登場した「文士の玉手箱」シリーズ第2弾です。1050円。
文士を扱う駅弁にふさわしく、ブックタイプのパッケージを開けるとその裏には次のように書かれています。
「文士の玉手箱 おほくの文士を癒した その静謐(せいひつ)で深い夜空、 清らかで美しい自然、 そして穏やかで温かな人情は いまもなほ連綿と續(つづ)き 私たちを静かに優しく 迎へてくれます 湯のまち 伊豆 いまもむかしも 變(か)はらない時間が 此処にあります さて、今日は 誰の足跡を訪ねませうか」
「文士の玉手箱(若山牧水バージョン)」は2008年4月21日に発売されました。しかし、いきなり話がそれますが、4月27日未明、調製元の桃中軒本社工場が火事になり、ゴールデンウィークを挟んだ3週間近く、この駅弁を販売することはできませんでした。下の画像は火事になった4月27日当日、火災発生後12時間が経過した午後3時前の三島駅南口売店の様子です。駅弁の販売が完全にストップし、対応に慌ただしかったためか、「文士の玉手箱」新発売の看板はまだ片付けられず、そのまま虚しく立っていました。桃中軒の駅弁サンプルにはすべて白い布が掛けられて、とても痛々しいです。
そして、午後2時半頃に急遽、富士の駅弁屋(中央会静岡支部)富陽軒から「駅弁版 富士宮 極 やきそば弁当」など4種類の駅弁が緊急措置として届けられ、三島駅などの駅弁売店に並びました。三島駅などで駅弁を必要としている客のために、1日たりとも駅弁販売業務を休むわけにはいかない、たとえ自社の駅弁はなくても、客の空腹を満たす使命を最優先に考えての早い決断。。。120年続いてきた桃中軒の伝統とプライドを感じずにはいられませんでした。
話を戻します。下は2008年5月17日に購入した「文士の玉手箱(若山牧水バージョン)」の中身。2008年は若山牧水没後80周年で、第1歌集「海の声」を出版してから100周年となります。35歳で沼津に移住し、43歳で亡くなるまでの9年間、沼津を愛し続けた歌人としても有名です。
生涯に8794首の短歌を詠み、旅と酒をこよなく愛した若山牧水ですが、このお弁当には旅の歌などに詠われた食材が取り入れられています。
そして、お品書きと一緒に、その食材に関連する和歌が記されています。
★蛸突くと浮けたる小舟ただ一人乗せてあやふく傾けり見ゆ
(蛸の酒蒸し)
★酒飲めと冬日はるばる送られし鴨の羽色のこの深みどり
(合鴨の薫製)
★いきのよき烏賊はさしみに咲く花のさくら色の鯛はつゆにかもせむ
(金目鯛の照り焼き桜葉巻き)
★茄子の木の幹のむらさき深けれや黒しと或はまがふばかりに
(茄子の鶏挟み焼き)
★庭さきの野菜ばたけにとりどりの影あざやけき暁月夜
(野菜の煮物)
★海も狭に鰯来ると浦あげてとよめる蔭に梅咲き盛る
(鰯の緑揚げ)
★人の声とほく聞こえつ眺むれば野末の畑に大根抜くところ
(紅白なます)
★芹の葉の茂みがうへに登りゐてこれの小蟹はものたべてをり
(芹の胡麻和え)
★うち断えて杜鵑を聞かずうす青く松の梢に寶の満ちにけり
(木の寶ごはん・松の実、胡桃、くこの実入り)
下は2008年6月1日、三島駅で購入した「文士の玉手箱(若山牧水バージョン)」。この駅弁を片手に、牧水の愛した沼津の千本松原にある「
若山牧水記念館」を14年ぶりに訪れてみました。
館内には宮崎での生誕(明治18年)から沼津への移住(大正9年)、永眠(昭和3年)するまでの足跡が編年体で原稿、書簡など、ゆかりの品々と一緒に展示されています。下の画像は沼津に移り住んでからの若山牧水の肖像写真。館内に大きく飾られていました。駅弁と一緒に撮らせてもらいましたが、没後80年にご自分の駅弁が出るとは思いもしなかったことでしょう。
詩歌総合雑誌「詩歌時代」を沼津で創刊した大正15年には、静岡県が計画した千本松原伐採に対して新聞に計画反対を寄稿するなどして、牧水は運動の先頭に立ち、その計画を断念させたなどの一面もありました。このように、沼津の千本松原を特に愛していたようです。右下の海岸が当時の千本浜海岸。
その千本松原へ出てみましょう。館内からは専用の通路が設けられており、徒歩1分で海岸に出られます。青い空、広い海を見ると、思わず牧水の代表的な短歌を口ずさみたくなります。実はこれ、恋の歌なのですが。。。
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
白鳥は哀しくないのだろうか。空の青色、海の青色にも染まることなく、漂っているなあ。
千本松原と言いますが、実際には30万本以上あると言われるこの海岸。沼津市の狩野川河口から富士市の田子の浦まで続いています。牧水記念館から徒歩5分、千本公園の入り口に歌碑がありました。
右上の画像、「文士の玉手箱」の上(奥)にある大きな岩に歌が刻まれています。
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
どれほどの山や河を越えていったら、寂しさの無くなる国に辿り着けるのだろうか。そう思いながら、今日も旅をしているのだ。
この和歌は若山牧水の代表的な歌。旅の歌です。牧水記念館には自筆の掛軸が展示されていました。
牧水記念館の休憩コーナーで「文士の玉手箱」を開けてみました。牧水に詠まれた食材の数々とのご対面。生わさびの手前に「金目鯛の照り焼き桜葉巻き」がわずかに顔を覗かせています。
松の実、胡桃、くこの実入りの「木の寶ごはん」は優しく素朴な味わい。木の実の香りと歯応えも楽しめます。蛸の酒蒸し、合鴨の薫製、鰯の緑揚げ、茄子の鶏挟み焼きはあっさり風味でワサビ醤油でも美味しくいただけます。
伊豆特産の椎茸などの煮物や、箱根西麓の人参、大根のなます、そしてイチ押しの「芹の胡麻和え」。どれも丁寧に作られていました。女性に人気が出そうなヘルシーにして、かつ男性でもしっかりお腹がふくれるボリュームを兼ね備えた、バランスの良いお弁当だと思います。1年間の限定販売が惜しまれますね。
若山牧水の生い立ちやこの駅弁のお品書きが記されたパンフレットの裏には、若山牧水が愛した沼津の和歌マップが描かれています。ぜひ、この駅弁を片手に沼津を歩いてみてください。まずは狩野川が直下に見下ろせる「沼津アルプス」から沼津の街と駿河湾、そして富士山と箱根山、伊豆の天城連山という雄大な360度の大パノラマを眺め、そこから下界へと降りて狩野川河口に位置する沼津港へと向かい、さらに千本松原の中や堤防を歩くという散策コースはいかがでしょう。このコースはその昔、若山牧水が好んだコースでもあります。
駅弁をすべて食べ終わると、底にも若山牧水の和歌が記されていました。本当にこれは牧水の「和歌づくし」駅弁でもありますね。「香貫山(かぬきやま)」というのが沼津アルプスの代表的な山の名前です。
個人的なことですが、若山牧水のご長男で、若山牧水記念館の初代館長でもあった歌人、若山旅人(たびと)氏と伊豆文学紀行をご一緒したことがありました。それが14年前のことです。その時にはまさかこのような駅弁が出るとは思いもしませんでした。そしてそれをこのサイトで紹介することになろうとも。。。
ふと思いましたが、旅を愛した若山牧水は、おそらく生前、桃中軒の駅弁を何回か食べていたのではないかと。駅弁が誕生したと言われる明治18年に宮崎で生まれ、明治37年、大学入学のために上京し、そして大正9年に沼津へ移住した牧水。満州旅行もしたそうです。もちろん明治末から沼津駅で売られていた「鯛めし」も、きっと食べていたことでしょうね。たぶん、大好きなお酒と一緒に。
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