前回『白兎』に続き今回『但馬』も地元鳥取に縁がある列車(最晩期2往復のうち上り1本は鳥取15時32分発。95年7月の県東部駅置のミニミニ時刻表より。)なので、『白兎』では散々苦労した教訓から、早いかなと思いつつ駅に。1ヶ月半も前からということで駅員さんもびっくりしていたが、念には念を。大阪を早朝7時台、しかもゴールデンウィークで1年で盆暮れ正月と並ぶ“ぼったくり”…失礼“稼ぎ時”、夜行列車でも微妙故、今回は大丈夫かという余裕もあったが(←この心の緩みが悲劇を招く…。)。 1ヶ月前の4月2日、10時台のいわゆる煙草休憩(私は吸わないけど。)の時間に駅のみどりの窓口から携帯に電話が。当初友人と計4人の旅行を計画していて1ボックスを頼んでいたので、「おっ、取れたか」と思い電話に出ると、 「すみません。ダメでした。」「………(℃°;) 」「第一番に入れたんですが…」「(T_T)」「何せすぐ残席0と出たんです。本当にすみませんでしたf(v_v)mキャンセル待ちしておきましょうか?」「(ToT)………お願いします(v_v)」「この状況なので、1つでもよろしいですか。」「はい。仕方無いです。でも、もし大量に出たら1ボックスで。」「わかりました。運よく大量のキャンセルが出た場合は、そうします。」「連絡ありがとうございました。」 こうして、また待ち続ける1ヶ月の長い闘いが始まった。今回は仕事が忙しくなったのも手伝ってあまり駅に行けなかった分、職場でも家でも携帯電話の電源入れっ放し。いつ連絡が入ってもいいように、方針転換。しかし…待てども待てども吉報は届かず、2日前に友人達に最終出欠確認。取れなかったら『北近畿』で“難民”移動の旨を告げて。結局それぞれ忙しいみたいで1人旅確定。で前日、駅に最終確認しに行くもやはり0で、半ばどころかほとんどヤケクソで夜行バスで神戸は三ノ宮へ。何故三ノ宮かって?大阪は始発駅故、競争に巻き込まれたく無かったので。 当日4時に三ノ宮到着、4時半に駅のシャッターが開き5時にみどりの窓口が開いて、当日キャンセル待ちまであと30分!……長かった…辛かった……しんどかった…。3分前、窓口のおねーさんが着々と準備する中、焦りのドキドキから過呼吸に。状況を見かねたおねーさんが聞く。 「どちらまで?」「今日の『但馬』号、大阪から豊岡まで!!」 運命の5時半。…ピッ……カチャ…「はい。合計1560円になります。」 |
福トカの特別車両展示会にて。キハ58・28系『但馬』 大阪駅の「但馬」記念駅弁を見る 豊岡駅の「但馬」記念駅弁を見る |
到着後、1,2番線で唯一(?)大阪駅に顔出しする福知山の電車庫の113系800番台4連(しかも快速!!)を見送ったのち、急いで中央コンコース隅にある駅弁屋さんの売店へ。私は3番目だったので無駄な競争に巻き込まれずに済んだと思ったが、思わぬアクシデントで一変…。7時になってもまだ開かない。10分経過、まだ開かない。20分経過、事故でも渋滞でもないのに何故か来ない!売り子のおばちゃん曰く「あと10分したら来るみたい…(←実はおばちゃん達も困惑しており、JRサイドは携帯片手に大慌て!)」この言葉を聞いて、いち早く届いているはずの車内販売に方針転換。 | |
↑大阪駅出発前の 『但馬』の先頭画像 |
須磨駅を時速110qでかすめるキハ58・28 (当然、新快速同様に急行線走行) |
ちなみにこの姫路までの「4号車2番」のボックスは、Bが私,Cが元国鉄技術系職員の初老,Dが鉄道ファンとおぼしき男性(本人おらず荷物のみ)。C席のおじいさんは「立席急行券」(しかも車掌さんから購入!)という究極の“裏技”で乗車した、ある意味“強者”だった。凄すぎる…\(℃°)/私にそのような勇気はないです…。 |