今回は旅人「砂丘の白兎」さんと地元「なら人間」さんとのコラボ探訪記です。

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(投稿前記)

そう、それは夏も終わり始めた9月3日。友人宅に宿をとらせてもらう1泊2日ミニ駅弁行脚を行った初日。いつものように因美・智頭・姫新線経由で関西に抜ける予定が、寝坊してしまい山陰・福知山線経由で関西に抜けることとなり、到着は昼過ぎ。駅弁収穫のために南海難波駅に着いた頃、その後何処へ行こうかと思っていたとき、ふと頭の中でジャズの名曲「My Favorite Things」が流れ出した。このメロディーからの展開は、一般的にはCMよろしく京都になるところだが、そこは公共機関旅行マニアの私。
「そうだ、五条に行こう。」

何故、五条なのか?解らない方のために、簡単に説明しておこう。その昔、和歌山線の五条から険しい山々の続く紀伊山地を南下し紀勢線の中間地点の新宮まで繋ぐ、とてつもなく壮大な鉄道建設計画が存在した。それは、当初は五新鉄道、後に五新線と呼ばれた旧国鉄の未成線であり、よく“幻の”という冠がついて紹介される、悲しき歴史を持つ路線。全国のその手の路線が廃線同様の扱いを受けた中、工事が完了していた城戸までの区間が、奇跡的にバス路線として生き長らえ、国鉄バス→JRバス→奈良交通(奈良県の大手民間バス会社)と運営会社は変われど、阪本線と名乗る知る人ぞ知るバス専用路線として、今現在もささやかながら存在しているのだ。未成線跡地転用道路を専用路線バスで辿る、つまり鉄道旅とバス旅を同時に味わう…ある意味一石二鳥のスポット。旧倉吉線のように、一定区間は自転車で辿ることができ、残る区間も並行道路をバス路線で辿ることができる廃線跡もあるが、大半の廃線跡は、車orバイク+クマ退治並重装備での徒歩じゃないと辿れない。そう考えると、こんなディープでマニアックな、けれども楽な廃線跡巡りは他にあるだろうか!公共機関オンリーの私にとって、ありがたい限り。

そんなこんなで、南海難波14時41分発『こうや』に乗車、15時26分橋本に到着。16時6分発王寺行に乗車し、16時23分五条到着。これから、もう一つの旅が始まる…。

(1)

五条駅に到着後、改札口を抜けた右側を眺める。大学時代に、これまたふとした思いつきから阪本線に乗りに来たとき、この場所が当時JRバス阪本線の五条駅だった場所。上方には各駅(バス停)までの運賃が掲示されており、ある意味味のあるバスが器用な車庫入れで発車時刻5分前には待機していた場所だった。しかし、2002年9月、民間に移管されてからは、その場所は主を失った空家と化し、バスは他の路線バスと同様に駅前の車庫から発車になった。

現在位置を確認し、そのバス停兼待合室兼車庫に向かい、城戸行つまり阪本線の時刻を確認する。11番系統の西吉野温泉行と12番系統の専用道城戸行とが、この阪本線になる系統だが、1日の運行本数が前者3本後者4本の計7本しかなく、しかも、乗車予定の16時29分発が最終便となっているではないか!! 昔はほとんど人が乗らなくても1時間に1本で運行していたのだが、やはりと言えばそうだろう、超ローカル路線へと変貌していた。
なかなか来ないので待合室の運転手さんに尋ねると、バスは近所の五條バスセンターが始発でもうすぐ来るとのこと。聞いて間も無くバスが来て、急いで画像に収め乗り込む。このとき、乗客は自分を含めて5人程。

次の路線バスに場所を明け渡すように、定刻にいそいそと発車。暫し一般道路や国道を走り、県立五條病院を目指す。そして、このバス停を過ぎた時点で、乗客は私とおばあさんのたった2人。もう先の読める状況である。この少し先に、これから通る「路線バス専用道路」への軽い坂道があるのだから。

寸前にある信号が青になったのを確認すると、運転手さんはウィンカーを左に出して、坂道を駆け上がっていった。するとそこはまさしく別世界。右側に如何にも未成線跡地とわかるコンクリート橋脚が国道の上に覆い被さるように存在して、特殊な道路と改めて理解。ただ、ひび割れてガタガタだったアスファルト道路はかなり舗装修理され、住宅の間を縫う細い生活道路クラスには改善されていた。

暫く進むと、踏切と思わせる一般道路との交差点に到着。運転手さんが「ここでええか?」と声をかけて、おばあさんは下車。この集落、霊安寺の人のようだ。ところで、専用道霊安寺:せんようどうりょうあんじバス停はもう少し先なのだが、集落の中心で一般路線バスの上霊安寺バス停がこの近所。よってここで下車したとのこと。これで、私だけの“貸切タクシー”となった路線バス。夕暮れ近い空の下を、山に向かって進んでいく。

(2)

専用道霊安寺:せんようどうりょうあんじを過ぎ向霊安寺:むかいりょうあんじの辺りまでは、集落と集落の間の農道を走っている感覚で、見渡す景色は田畑と民家。右側に見える丹生川を隔てた先に、先程まで通っていた国道がうっすらと見える。

向霊安寺を過ぎると少しずつ山が近づいてきて、左側に小さな水力発電所が見えると、第二発電所口:だいにはつでんしょぐち。そして、集落が見えると上柏原:かみかしはら。ここを過ぎて暫く行くと、いよいよ山間部へ。ぐねぐねと曲がり始めた丹生川を渡ると目前に生子トンネルが現れて、その手前に専用道生子:せんようどうおぶす。ここは行き違い交換可能のバス停で、以前はよくここで行き違い待ちをしたものだ。“バス専用道”なのにもかかわらず、たまに一般車やバイクが侵入してくるため、トンネル内に灯りを見つけると、パッシングをして存在を示し、この場所で注意するそうだ。今回は灯りを確認出来なかったので安心してトンネルに突入すると、その半分過ぎた頃にバイクと思われるライトの灯りが…。何とか行き違えたが、運転手さんがバイクの若者に少しきつめに注意したのは、言うまでもない。

生子トンネルを抜けて橋を渡ると、すぐ集落が見えて江出:えづる。また橋を渡って、遥か真上に立派な道路橋が見えると、専用道神野:せんようどうこうの。集落は、その道路橋の高さにある国道沿にあるのだろう。ちなみに、行き違い交換可能。道路橋を潜り抜け暫く行くと橋があり、親房トンネルという短いトンネルを通過。その後橋を渡って集落が見えたら賀名生:あのう

賀名生から 向賀名生:むかいあのうにかけては、山沿いを進みつつも比較的開けていて、凄い山間に来た感は無い。それでも、相当高度は稼いでいるのだが。集落沿いの向加名生を過ぎて 専用道大日川:せんようどうおびかわを過ぎるとまたもや橋。国道を下に眺めたら大白川トンネルに突入。トンネルを抜けると、鬱蒼とした森の中の味のある待合所が印象深い 衣笠:きぬがさ衣笠の後は、衣笠トンネルを通り橋を渡り黒淵トンネルを通り、それなりに開けた山沿いに。そのまま進むと右側に細くなった丹生川を望む集落沿いの 専用道黒淵:せんようどうくろぶち。そして、木が植えられたロータリーが見えたら、終点の 専用道城戸:せんようどうじょうどである。ちなみに12系統はここまでで、11系統はここから側道を下りて西吉野温泉口,むすばれ橋,西吉野温泉と続く。

(3)

こうして、約30分に及ぶ濃厚なバス旅を終えて専用道城戸に降り立った。運賃は500円から520円に値上がりしていたが、よく20円だけですんだなぁと感心。降車の際に運賃箱に入れようとしたら、運転手さん曰く「五条駅で降りるときに、往復分入れてくれたらいいで。」とのこと。そのありがたい御言葉に甘えて、折り返し出発までの約10分間、久しぶりに城戸近辺を散策する。

ここは以前とさほど変わっていない。城戸から城戸トンネルまでのコンクリート路盤は職員駐車場、麓に下りる一般道との境目には野菜などを売っている万屋。ただ、やはり変化はあるもので、「西日本JRバス 城戸駅」とあった駅名板が「奈良交通 専用道城戸」に。一般道とバス専用道の境界にある注意書きも、「西日本JRバス」から「西吉野村」に。これに関して細かく突っ込むと、その西吉野村も五條市に合併されているので、「西吉野町支所」とか「五條市」に直すべきだろうけど。
悲しいかな、この往路で画像を撮り過ぎて携帯電話の電池の残量が乏しくなったため、この散策での撮影は程々に済ませ、急いでバスへ。トイレ休憩を済ませた運転手さんも急いで発車の支度を済ませ、17時10分、万屋のおばちゃんに見送られながら専用道城戸を発車し、来た道を戻る。

どうせ、五条病院まで自分1人だろうなぁと思っていた復路。ところが、一番印象深かった衣笠で乗客が手を挙げて待っていたのだ!たぶん高校生か大学生と思われるハイキング装備の若者が5人程。まさか、こんな秘境のような路線のバス停から、しかも夕暮れ間近の時間帯に人がたくさん乗ってくるとは…。最前列座席でかぶりつきだったので、後部座席に陣取った彼等と会話を交わすことは無かったが、なんか不思議と嬉しい気持ちになった。一方、彼等も独特な車窓に興奮醒め止まぬ様子で、偶然乗ったこのバスはさぞかし思い出に残ったであろう。
だんだんと街へ下って行くにつれ、集落沿いのバス停から部活帰りの学生を少しずつ乗せ、五条駅に着いた頃には15人程の乗客がいた。

五條駅で1040円を運賃箱に入れてバスを降り、旧五新線探訪は終了。王寺行の電車にはもう少し時間があったので、5分程歩いてバスセンター隣接の大手スーパーに入って電池を調達し駅に戻り、そして18時1分、五条を離れた。

路盤は城戸までだったが、トンネルなどは阪本まで達していたという。もし線路が敷かれていたら、キハ120が走っていただろうなぁ…。

(投稿後記)

今回の投稿は、私自身の実地体験だけでは説明できない部分も幾分存在した。過ぎ去って行く各バス停やトンネルの名称、五新線に関する史実…。此等諸情報について、9月23日に県立図書館に出向き可能な範囲で調査。以下に挙げる文献,地図,ホームページなどを閲覧し、補足材料とした。この悲運の鉄道「国鉄五新線」についてより奥深く探求されたい方は、是非目を通していただきたい。

文献
『廃線跡を巡る』“廃線跡 旧国鉄・JR”

地図
『ニューエスト vol29 奈良県都市地図』緑40頁
『エオリアマップ 奈良県6 五條市』

ホームページ
『鉄路に魅せられて』“失われた鉄路を求めて”
他、五新線関連サイト
『奈良交通ホームページ』

智頭線という、国鉄から見捨てられたにもかかわらず、不死鳥のように計画が復活し開通し、今では京都や大阪や神戸といった関西の大都会と、“陸の孤島”山陰の大切なパイプラインとなった鉄道を地元に抱える身としては、その成し得なかった辛さがとても人事じゃないような気がして仕方がなかった。そんな思いが心の何処かにあったからこそ、大学の関係で奈良は王寺に住んでいた5,6年前と、久しぶりに鳥取から訪れてみた今年と、この場所を訪ねたのだろう。

内容を見てのとおり、どんなに大きなバス会社と言えども、支えきれなくなっているのは事実。何時この独特な雰囲気を持った路線が消えてもおかしくはない。しかし、少しとはいえ大切な生活の足になっている人が存在するのも事実である。幸いにも、単線規格で作られた路盤とはいえ、鉄建公団の作った路線故に国道経由より速い。また、西日本JRバスから前の西吉野村が所有者となったことで、道も見違える程立派になった。ささやかでも公共交通機関として、これからも存在してくれることを祈りつつ、ここに投稿後記を終える。




(なら人間さんの投稿レポート)


専用道に入る手前の築堤

築堤に架かる高架橋にあった銘板
(これをみると1957〜58年の工事です)


踏切りの残骸
この踏切りは普通の鉄道とは逆に付いており、
普段は専用道を遮断していました。
一般車両が専用道に入らないようにする為です。


偶然来たバス


感知機がバスを感知


踏切り残骸遠景
バスが走ってくると感知機がバスを感知し、
それにより踏切りが上がる仕掛けでした。


   





JRバス時代の発着場の全景



五條駅バス停の時刻表。
城戸方面は、平日ダイヤ=全日ダイヤなので、
土曜ダイヤや休日ダイヤは存在しない。


専用道霊安寺。
その近所にある、一般道との交差点。
踏切のようなものが…。


専用道生子。
昔はここで、バス同士の行き違い交換あり。
向かうトンネルにライトの灯りは見当たらないが…。


専用道生子〜江出。
生子トンネル内部。
行き違い不可能のトンネルなのに、無茶苦茶な…。


専用道神野。
近づいても、“天空の橋”。
どうもあの道は、奥谷という集落に続いているらしい。


専用道大日川〜衣笠。
バス停を過ぎたらすぐに橋。
下に国道と丹生川が見える。


衣笠。
鬱蒼とした森の中に、味わい深く佇む木造ベンチの待合室。


黒淵〜専用道城戸。
両側に柵が見えて来ると…。


専用道城戸。
ここが旧五新線跡地転用バス路線「阪本線」の終点。
その城戸“駅”構内全景


城戸トンネル手前のコンクリート橋。
見てのとおり、駐車場。


専用道城戸バス停時刻表。
11番系統西吉野温泉発&12番系統専用道城戸発。




(なら人間さんの投稿乗車券)


阪本線記念乗車券
開業15周年


開業20周年
(3枚が1セット)







ぶらり18きっぷの旅・’05春