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『(懐かしの)白山』奮闘記

いやぁ、遠かった。西日本かつ日本海側に住んでいる人間にとって、東日本の北関東より北の方面は行く機会が無いに等しい。首都圏でさえ、年に1,2回あるかないか。そんな北関東の西端部、鉄道ファン及び駅弁ファンの聖地の1つである横川が今回の目的地。そして、私のリバイバル乗り鉄史上、初めての電車…。

もちろん情報は夏には収集済。ただ、「碓氷峠を通って金沢まで行かんと、『白山』は成立しないんじゃ…」なんて思っていたし、何より、秋の18きっぷシーズンとはいえ遠かったので、最初は全く見向きもせず。当然予約も入れず。

そんなある日、今年はきっぷ取りで御世話になりっ放しの金沢在住の友人から、この列車へのお誘い電話が。あの辺りの路線はほとんど乗ったことないので、誘いにのろうかなと思いつつも、職場が繁忙期で有休取れるかどうか不明で躊躇していたら、
「片道1万ちょいで、寝台列車の個室に乗れるとなると、どう?」
えっ!?なかなか貧乏人には乗れない寝台列車の個室に、しかも、運賃や料金など全て込みで首都圏近郊タダ乗りがついて、諭吉さん1人程度!
この言葉で、私の心は決まった。乗車記念にきっぷを集めているのも手伝って、彼の話にのった。ただ、今回は定員が多く難易度は低めとはいえ万全を期すため、急いでいつもの3ヶ所と大学時代の最寄駅1ヶ所にきっぷ予約を提出。後者に関しては、同郷出身で大学卒業後も現地在住の友人に頼んだが、何せ依頼日は発売日の前々日。可能性は極めて低かった。

そして当日。奇跡が起きる。悲しいかな地元依頼分はダメだったのに、先の代理依頼分は往復取れたのである。金沢方が微妙だったため、これできっぷ取りは実質終了。後日代金を振り込んで郵送してもらい、10月初に手元に到着。何とか有休が取れたので、残るは遠征費用の捻出となった。

あまり“偉人さん”に縁の無い私なので、当初はエセ18きっぷ全国版と『ムーンライトながら』往復で決まっていた。でも、当の寝床になる列車の指定が取れず、片道1万円弱の「首都圏往復フリーきっぷ」という北陸限定企画きっぷで『北陸』B個室ソロに乗ることになったので、エセ18きっぷは西日本版行使で安上がりになったものの、全体的にゴージャスな遠征になった。もちろん、切り詰めたのは言うまでもない。

そのような経緯の結果、2つの優等列車に乗る豪華な旅に。お金はたくさん飛んだけど、思い出が3倍になった。よく用意したと、改めて思う。

『北陸』旅行記

初日。エセ18きっぷ西日本版「西日本一日乗り放題」を手に、鳥取から山陰線を東進。今回の旅は、松茸駅弁行脚という旅も兼ねていたので、当初は因美線,智頭線,姫新線と南下して東海道・山陽線に抜け、京都と米原のそれを収穫する気だったが、豊岡でのおつかいを頼まれて急遽変更。どちらのルートも敦賀から先は必然的に同じルートになるので、出発時間に少しだけ余裕ができた。

こうしてひたすら普通列車を乗り継ぎ、15時頃金沢到着。まだ集合時間には早かったので、富山港線に乗りに富山へ。しかし、富山に着いた頃には空は既に薄暗く、しかも乗るつもりだった便が“バス汽車”キハ120だったので乗る気が失せ、約束の時間が近づいてきたため、先程まで乗ってきた電車で金沢へ。
金沢で友人達と合流後、東金沢駅で『北陸』他のきっぷを入手し準備完了。カレー食べ放題の店で夕食の後、いよいよ寝台列車の個室を初体験である。

大半の特急が出発し逆に次々と到着してきた21時台、今夜の寝床かつメインの列車『北陸』が登場!私だけでなく友人達も寝台列車には縁が無く、みんなで子供のようにはしゃぐ。
狭いながらも一般的なビジネスホテルクラスの個室、6分とはいえたっぷり使えたシャワー室…。何とも言えない感動が、自分の中に込み上げていく。
そんなこんなで興奮しているうちに、22時15分、静かに金沢を発車。
当然眠りにはまだ早く、順番にシャワーを浴びている間に色々と雑談。

私を誘ってくれた友人にとって、『白山』は鉄道の世界に案内してくれた思い出深い列車。幼い頃、堂々と食堂車が付いていた時代にじいちゃんと乗って以来、何度となく乗ったらしい。それはさぞかし感慨深いことだろう。だからこそ、この列車の復活はうれしい限りで、多人数でワイワイと行きたかったのだろう。そう思うと、全く『白山』に縁はない私だけど、彼の大切な思い出作りに一役買えて本当によかった。そして、こうやって個室寝台へ乗車できるおまけ付きの、この旅に誘ってくれたことに感謝感激雨霰である。

さすがに翌日のことがあるので、直江津を過ぎた辺りでガヤは終了。各個室に入って消灯。私自身はそれでもなかなか眠れず、長岡到着の頃まで起きていた。

『(懐かしの)白山』旅行記 (1)

2日目。5時にセットした、ロマンシングサガのラスボス戦の曲で目を覚ます。当然まだ暗かったが、段々夜が明けていくにつれて、これから始まるもう一つの旅への気持ちが高まっていく。

6時19分、上野に到着。過去の経験から、リバイバル運転時の上野での殺気を知っているので、敢えて朝飯をとる時間を設けず、そのままホームに佇む。そのかわり、記念弁当が出ているかもという期待があったので、搬入が始まる7時台に売店に直行し、店員さんに存在を尋ねる。結果、撃沈。どうも、上野では出なかったようだ。せっかくなのでピカチュウの駅弁を購入し、車内での朝飯に充てる。
そのとき、当日合流予定のメンバーから連絡が入り、残念ながら参加不可能とのこと。この件で金沢で取ったボックスの1席が空くことになったので、自分の分をマルスに返し、その席に座ることに。

時間は流れて…次々と人が。30分前には、やはり独特の恐ろしい気配。そんな中、いそいそと『能登』に使われている489系が入線。…そう、今回のメイン『(懐かしの)白山』。関係者の方が大切に保管されていたであろう、イラストヘッドマークを両ボンネットに装着して。
もちろん、暗い地上ホーム故にフラッシュの嵐。入線した13番線の対向ホームは一般人進入禁止だったため、もう凄いったらありゃしない。定員の半分近くを占めていた団体様が乗り込んでいる間にさっさと撮影を済ませ、急いで乗車。そして、荷物を整理しているうちに発車。沿線は、撮影ポイントの度に夥しい人の数…。
大宮までは、臨時列車のせいかトロトロと走っていたが、大宮を過ぎて高崎線に入るとスイッチオン!まさしく特急運転!!1時間程で高崎に。そして未踏破の線区に突入し、あっという間に横川に到着。計2時間と今までで一番短かったリバイバル列車旅だった。

ただ、これで終わりではない。私にとっては、この横川到着が闘いのゴング!何の闘いかって?天然松茸の駅弁をゲットする闘い。同時に記念駅弁と友人に頼まれた120円おにぎりも。
ドアが開くとすぐに走り出したが、120円おにぎりの混雑でなかなか進めずピンチ。売店にたどり着いた瞬間に絶叫!
「峠の松茸めし2つと120円おにぎり1つ!!」
「松茸めし1つしか無いけどいいかい?」
「えっ?残り1つ?…じゃあ1つ!」
「2020円ね。」
結局、知人から頼まれた松茸めしは確保できなかったが、最低限の目的達成。記念駅弁を除いて…。

『(懐かしの)白山』旅行記 (2)

ところで、何故記念駅弁を入手できなかったのか?後で判明した事だが、改札外の売店にちょこんと置かれていた箱モノ幕の内がそれだったと。松茸駅弁ゲットで頭が一杯で、全く気づかなかった…。

メンバー全員が撮影などを終えて落ち着いた後、駅前にある駅弁屋さんの資料館に1時間程滞在。貴重な資料をしっかり見物させていただいた。そして、車両展示館の横川鉄道文化むらへ移動し、トロッコ列車「シェルパ」の予約。すぐ乗りたかったが、あいにくその便は満席だったので次の便に。その時間まで、貴重な車両だらけの屋外展示場に滞在。休憩所で昼飯(私は松茸めし、他メンバーは釜めし。)を食べながら、どっぷり寛ぐ。

時は過ぎ、トロッコ列車の発車が近づいたため急いで入口近くの乗場に向かい列に並ぶ。
14時、トロッコ列車発車。ゆっくりと進みながら、高地の風を浴びる。今にでも復活しそうな横川〜軽井沢間の線路を、列車で辿れるなんてなんと幸せなことだろう。
途中、丸山変電所跡に作られた駅に停車。その煉瓦造りの壮大な建物にうっとり…。
約30分で終点のとうげの湯駅に到着。このまま折り返すつもりだったが、なんと雨がっ!かなり激しい雨だったのに加えて、折り返し乗車の列が凄かったので、1時間滞在することに。温泉っていいねぇ…。

滞在で雨は落ち着き、いよいよ下山。横川に戻ると、もう『(懐かしの)白山』がぁっ!速攻で横川駅の改札をくぐり乗車。
幸い撮影時間はあったみたいだけど、焦っていたのは事実。私が辛うじて車窓を眺めることができた高崎までは、まだみんな元気だったが、高崎を過ぎてからは…。疲れきったのかスヤスヤと寝息が。ちなみに、友人達だけではない。他の乗客も大半がこの状態。もっとも、高崎から先は半分以下の乗車率で、実にマタ〜リとした雰囲気。一般の客が普通に乗ってきてもおかしくない状況で、現役っぽくも感じた。

18時17分、上野に到着。ここに『(懐かしの)白山』の旅は終了。メンバーの内、1人は最終『のぞみ』で大阪へ、私以外の2人は翌日も東京に滞在のため、東京駅に移動し軽く夕飯。新宿の駅弁をおつかいしてもらった、私の知人も合流して大盛り上がり!充実した時間を過ごしたその足で東京へ向かい、“シンデレラエクスプレス”体験。別に恋人どうしでなく友人どうしでも、結構ジ〜ンと来るのよ、このシチュエーション。

見送った後、友人達と別れて知人と上野へ。『北陸』入線までおしゃべり。

松茸駅弁行脚

3日目。前日までの賑やかな旅ではなく、いつもの一人旅。『北陸』に往復乗って個室の上と下をそれぞれ体験したが、下より上の方がよく寝れる。下は揺れが激しく、しかも前日利用した人の煙草の匂いにKO!たいして睡眠がとれず、ドアが開く度にデッキから外気を吸っていた。

6時23分、金沢到着。これで優等列車でのゴージャスな旅は終了。しかし、乗り継ぐ予定の普通列車は2分前に出発しているため、松任までの一区間を『しらさぎ』でワープ。松任から、「西日本一日乗り放題きっぷ」を行使していつもの鈍行旅に戻る。

そもそもの予定では、もう鳥取に帰るだけだったのだが、ここまでの松茸駅弁の収穫は富山と横川のみ。そう、米原と京都を収穫しなければならない。そうなると、金沢から純粋に鈍行旅だと乗り継ぎに余裕が無くなり、ミッションを遂行できない可能性が発生してしまうのである。
どうしてか?軍資金が底をつきかけており、また時間がかかるのを避けるため、その結果、智頭線も山陰線も通らないとなると、姫路14時5分発に間に合わせなければならない。ワープ無しだと、米原は入手できても京都は微妙なのだ。姫路名物「えきそば」を食べる余裕も欲しかったし。

そういうわけで、米原10時2分着の10時26分発、京都11時16分着の12時2分発、姫路13時28分着…の予定だった。
…姫路にあともう少しというところで信号停車。何でも、姫路〜英賀保間の踏切で強行突破があったらしく、結局15分程遅れて姫路に到着。もしワープ無しで動いていたら、この1本後の新快速だったわけで、姫新線だけでなく智頭線もアウトだったかも…?

際どいタイミングだったが無事えきそばを食べて、予定の列車に乗車。播磨新宮,佐用,東津山,智頭と乗り継ぎ、18時44分、鳥取到着。

   


東舞鶴駅にて。
今現在、「大石」という業者さんの仕出し弁当を扱っている模様。
駅弁として見ようとするけど、オリジナリティに欠けるような…。



富山駅「松茸弁当」
季節限定という響きに惹かれて購入。



秋の味覚の王者“松茸”を使った、ちょっと贅沢な品。
松茸自体は少なめだが、かなりボリュームあり。



富山港線の主でもある、475系急行形交直流電車。
“バス汽車”キハ120が出た後、次に発車するためスタンバイ。
この1週間後に、小豆色の国鉄急行色に塗り直された編成が、
この路線の主になったらしい…。



只今、『北陸』2号車12番
たぶん、私の中ではこれとない贅沢!B寝台個室ソロ!!
「首都圏往復フリーきっぷ」行使で、相当モトとってます。



個室の車窓から眺める、明け方の高崎線沿線。
住宅街を寝台列車に乗って通過とは、何という贅沢。



上野駅到着。旅情溢れる地平ホームです。
これから、通勤客とファンとで恐ろしくなるぞぇ〜(^o^;)



只今、『(懐かしの)白山』5号車6番B席
友人達とガヤガヤ。これで禁煙だったら完璧だったのに…。
どうも、禁煙車はほとんど団体様みたい。



『峠の釜めし』立売パフォーマンス


廃線後も生き残った下り線。上り線は歩道になっているが、
駅から線路を繋げれば、復活できそうなんだが…。



丸山変電所跡。軽井沢側からのアングル


横川駅「峠の松茸めし」
ついに念願の松茸めしをゲット!しかも最後の1つ!!


天然って凄いっ!
開けた途端にふわぁっと広がる松茸の香り。
噛むとシャキシャキした歯ごたえ。しかも、ボリュームたっぷり。
もう、何と表現したらいいかわからない!!

ぶらり18きっぷの旅・’05春