あくありすらんど旅行記に戻る

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全てうまくいっていたなら、「『SLあそBOY』奮闘記&旅行記」になっていただろうに。このタイトル。

6月の『(リバイバル)白馬』遠征のツケと職場の繁忙期で、今年の夏は予定立たず。乗れたらいいなぁと『SLあそBOY』の予約を入れども、残念なことに“ハチロク”こと58654号機の引退が発表されてアウト。完全にスッカラカンになった我が脳味噌。
しかし、何処かに行きたいという衝動的な気持ちは抑えられず、ある程度落ち着いてきた8月末に有休願を提出し、土日を挟んだ4連休をとった。日曜日にダメ元で九州に行く日程だけはおおまかに立ててはいたが、それ以外は白紙同然。如何に突発的なぶらり旅だったか。
当初は、初日は適当に東海道線を東進しマイナーな駅弁を物色。東京近辺在住の友人達と会った後『ムーンライト信州』へ。2日目は長野や松本辺りを乗った後、中央線,東海道線を西進して『ムーンライト九州』に乗ろうかななんて企んでいた。しかし、関東に台風が上陸ということで大事をとってボツ。金曜日は家事や休息にあてた。ほとんど計画を立てていなかったからこそできた柔軟な頭の切り替えだったと、今更ながらに思う自分。その晩、一人旅もなんだかなぁ〜なんて思ったので、以前『奥出雲おろち』で知り合った友人にメール。幸い休みだったらしくOKをもらい、鳥取から阿波池田まで同行してもらうことになった。


初日、土曜日。この日のメインイベントは、高松→阿波池田の急行形気動車使用普通列車に乗ること。

早朝の鳥取駅で待ち合わせて、毎度御馴染み5時12分発智頭行からひたすら南下。智頭,津山と乗り換えて、9時8分に岡山到着。朝はコンビニから仕入れたツナマヨおにぎりだけだったので食物が欲しかったが、食べたいと思った駅弁は売切やら未入荷やらで買えず終い。さっさと高松に乗り込むことにし、10時3分発『マリンライナー』に乗車。ジベタリアン状態で睡眠中に瀬戸大橋を渡る。

10時57分に高松到着。“山越え”列車入線までの時間に、駅弁を3つ調達。ついでに讃岐名物のぶっかけうどんを食べようとしたが、駅構内にあった店(≠連絡船うどん)は潰れてしまっていて、ちと悲しい気分。街中のうどん屋に負けず劣らずの旨い店だったのに…(T_T)
11時半を過ぎた頃、目的の列車が入線。即座に乗り込んでボックス1人占め!座っていてホッとする。まぁ、こうして大切に使われていることに感謝せねばなるまい。国鉄急行色だったら、なお完璧だったが。

11時51分、爆音をたててゆっくりと発車。電車より遅いぶん快速になるべきなのに各駅に止まっていく。車窓を眺めながら駅弁を食べていると、右手に立派な石のモニュメントが!そう、ついに鬼無駅の桃鉄モニュメントを拝めたのだ。停車中の僅かな時間にブレないようにピロン。よく綺麗に撮れた、携帯電話のカメラで。
こうして、のんびり汽車に揺られながらもあっと言う間に2時間が過ぎ、いよいよメインイベント終了。徳島線に乗るために時刻表を開くと、なんと佃で行き違い!よって、阿波池田の一つ手前のここで乗換。友人とはここでさよならの予定だったが、彼も予定変更したのか同行延長。こうして、駅数が多いと思いながら徳島線を踏破し、15時38分に徳島到着。ここで友人と別れて、いつもの一人旅に戻る。

駅弁を調達した後、暫し思考。
さぁどうしよう?このまま高徳線経由で岡山に戻るのもいいけど、フェリー弁どうなっているかなぁ…。
てなわけで、市バスで徳島港に向かい、数年降りに南海フェリーに乗船し和歌山までワープ。本題のフェリー弁は、コンビニ体裁のただの幕の内になっていてショック!でも、カーペットでの休息と“神の御慈悲”である程度復活!!和歌山港手前で見た夕日は、心落ち着く絶景だった。

上陸後、和歌山市経由で新大阪へ向かい、『ムーンライト九州』に乗り初日終了。

2日目、日曜日。この日のメインイベントは、前々から企んでいた『SLあそBOY』の乗車と、豊肥線踏破&九州横断。唯一、行動計画をきっちりたてた日。何故なら、ワープ無しで熊本までの乗継は分刻み。宮地〜豊後竹田の“山越え”便は、1日数本の超難関。

まず、SLのきっぷ取りに関して、初日から2日目にかけての玉砕を記録しておこう。
智頭,岡山,高松,徳島,大阪,新大阪,下関,門司,小倉,赤間,博多,久留米,熊本。
今年は自力で全くきっぷをとった試しが無いにもかかわらず、去年『白兎』『但馬』と当日早朝にとれた奇跡が、確信の無い自信に繋がっていたのだろう。今こうして振り返ると、改めて自分の恐ろしさを感じる。

そんなこんなで、『ムーンライト九州』で夜行移動した後は、熊本まできっぷ取りと危険な乗継の繰り返し。当然、朝飯をとる余裕無し。少し余っていたポテトチップスで、辛うじて胃を慰める。9時51分に熊本到着。最後の闘いに撃沈し終戦。そして、ここの駅弁も大半が売切。しかし、幸いにも駅構内で開催されていた、SLさよなら記念県内ミニ駅弁大会で駅弁を調達。10時5分、推定乗車率150%の通勤電車の中から、非常に恨めしそうな視線を幸運な人々に送りつつ、先行発車。途中、肥後大津で電車から汽車に乗り換え、11時44分に宮地到着。市街地からカルデラの底へ駆け上がり、立野の3段スイッチバックを経て高原へ。そんな車窓にそびえ立つ阿蘇山はまさに絶景だったが、SLに乗れなかったブルーな気分に携帯電話の電源ピンチが重なり、画像を残せず。今度機会があったら、画像に収めたい。

宮地で駅弁を平らげ、近所のコンビニから飲物を調達。未練を吹っ切るため、汽車に早々と乗り込み、車内からラストランを見届ける。そして程なく発車し、山間を降りて行く。豊後竹田到着後、向かいの汽車に乗換。旅人を乗せた転換クロスシートのハイグレード気動車キハ200系は、俊足を生かして狭い谷間をかっ飛ばし、15時21分に大分到着。小倉方面への普通電車まで1時間近くあったので、1日2往復しかない宗太郎越の普通電車を見送ったり、おやつ代わりに駅前の丼屋での食事&ミニ駅弁の購入などして、16時17分発柳ヶ浦行で宇佐に抜ける。

宇佐で17時42分発下関行に乗り換え、行橋で途中下車して駅弁を3つ調達。その後、小倉に向かい駅のホームでこれらを夕食にとり、22時過ぎ『ムーンライト九州』に乗車し、2日目終了。


3日目、月曜日。この日のメインイベントは……実はまだ決まっていなかった。でも、ただ鳥取に帰るだけでは、面白味に欠ける。前日の『ムーンライト九州』の車中で思考にふけっていて暫くたった後、パッと思いついた。
「そうだ。水島臨海鉄道に行こう。」

4時8分に岡山到着。そして下車。1時間後の5時8分、9月30日をもって止めを刺される『彗星』が『あかつき』と共に到着。人はまばらだった。この1年程で夜行列車の最期を次々と見送っている自分が辛い…。『出雲』にもよからぬ噂がある以上、決して人事ではない。彼が生きているうちに、A個室に乗れる日は来るんだろうか?

土休日運休で『サンライナー』用117系使用の電車、6時36分発笠岡行で倉敷に向かい、徒歩5分程の水島臨海鉄道(臨鉄)倉敷市へ。
ここを訪れた理由は、国鉄一般色のキハ20に乗るため。もちろん、実費叩いて乗るからには全線完乗!なんでも、キハ20は平日に運転される非ワンマン運用にしか充当されないらしく、こんなときじゃなければ乗りにこれないと思ったから。駅の時刻表を確認すると、7時台の2本は共に非ワンマン運用。ターゲットは2両しか在籍しておらず、単行運転は非ワンマン車なので有り得ない。よって確率は50%。伯備線9時5分発新見行に乗れるよう余裕をもたすため、一か八かで7時21分発三菱自工前行に乗る。結果…。

ハズレ(T_T)もう一つの7時59分発三菱自工前行が正解だった。終点までの行って来いで、2度も行き違い…。全線踏破はしたけれども、目的の列車に乗れなかったのは悲しかった。このままでは引き下がれないので、倉敷市到着後一旦改札を出て再度入場券で改札を入り、ひたすら待つ。
9時前、ガランガランと音を鳴らして2両連結で到着。お客さんを吐き出して回送されるまでの僅かな時間に、携帯電話のカメラに収める。あっという間の時間だった。

撮影後急いでJRの駅に戻り、先述の電車に乗車。新見から10時51分発米子行に、米子から13時5分発『とっとりライナー』鳥取行に乗車。14時36分に鳥取到着。ここに、今回の旅は終了した。かなり早い帰宅である。

前回春のプランと今回夏のプランが逆だったら、『SLあそBOY』に乗れたかもなぁ…。悔やんでも仕方ないが。時の流れは、誰の力をもっても止めることができないのだから。
長老、長い間御疲れ様。ほとんど会えなかったけど、何時か九州鉄道記念館あたりで会いたい…。





予讃・土讃線キハ58・65系車内にて





見よ!これが世にも名高い、桃鉄オブジェじゃぁっ!!
(キハ65-27車内より撮影)





淡路島に沈む、晩夏の夕日。





熊本にて、玉砕。敗戦…。





SL到着後のセレモニー準備中の立野駅。





昔の名は“赤い快速”





岡山駅を後にした『彗星』。





元キハ20




ぶらり18きっぷの旅・’05春